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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

代表機

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旧国鉄湧網線 卯原内駅跡


北海道を代表する蒸気機関車といえば、これはもう山線のC62だろう。
特急つばめ、はとなどの名門特急の先頭に立ち東海道をぶっ飛ばした機関車が
急勾配と急曲線を重連で急行列車を牽引し驀進する・・・。
我が国最大最強の機関車が限界性能ギリギリで、急峻な渡島半島を縦走する様は伝説である。
当時小学生だった身にもその名は轟いていたし、露天商でC62重連の特大ポスターなど親に頼んで買ってもらったものだ。

中には、いやいや室蘭の2400t列車のD51だよとか、利尻を望む凍てついたスポーク動輪のC55だねとか
何を言うか若造、狩勝越え急行まりものC57だろうという方もいらっしゃるだろう。
それでも忘れて欲しくないのがキューロク、9600形蒸気機関車である。
D51やC57を差し置いて、大正2年、初の本格的国産蒸気機関車として誕生した9600が
国鉄の営業機関車として締め括ったのは蒸機好きの間で有名な話だが、
北海道では蒸機終焉の最後まで本当によく働いた機関車ではなかったか。

宗谷本線、天北線、留萌本線、羽幌線、深名線、興浜北線、名寄本線、渚滑線、勇網線、
石北本線、相生線、池北線、広尾線、士幌線、天塩炭礦鉄道、日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道・・・
蒸機晩年の道北・道東地方において自分の浅はかな知識だけでもこれだけあり、
わざわざ車齢の浅い形式に代えるまでもないとされてたにしても、幹線から支線ほぼ全線に煙を残している。


冬の湿原号を撮りに行った際、釧路機関区の元機関士さんから聞いた話。

「釧網線で吹雪くと、シゴハチは吹き溜まりに突っ込んじゃったら動けなくなるんだよね。
だけどキューロクは違うんだよ。どんな吹きだまりもズンズン行っちゃう。
釧路から救援に駆り出されてよく行ったよ。扱いやすくていいカマだったなぁ」

太いボイラー、1250ミリの小さな動輪、最高速度65キロとスピードは苦手。
お世辞にもスマートとはいえないキューロクであるけれど、実直で頼りがいのあるいい奴なのだ。
石炭、木材、海産、農作物・・・
もし僕が億万長者だったなら、湧網線跡に線路を敷き直してキューロクを走らすんだがなぁと思うほど
間違いなく開拓に大きな功績を残した北海道を代表する機関車である。




テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

  1. 2020/07/02(木) 10:12:55|
  2. 廃線・保存機
  3. | コメント:0

陸羽東線シゴハチの里PROJECT

早春のみちのくで、今岐路に立たされている静態保存の蒸気機関車がいる。
C5819、C58114、C58356・・・
いずれも保存先の大崎市を走る陸羽東線で晩年まで活躍した蒸気機関車たちだ。
大崎市は「機関車の腐食が進行し立ち入ると危険なため、上記3輛を順次解体する」と発表した。


ここだけに限らず、行政が手に負えずに保存車輌が解体された事例は多くを数える。

子供たちがSLのように逞しく育つよう・・・
地域の発展を促した功績を称え・・・

あの時あげた声は嘘だったのか?
まさか維持管理するのにお金はかからないとでも思っていたのか?
それとも保存の盛り上がった熱が冷めれば人々から忘れ去られ、なかったことのように消せばいいとでも思っていたのか?
国鉄OBや保存会の方々によって手入れの行き届いた車輌にしても、それは市民がボランティアで行っているものだ。
最もらしいことを言って手を上げ、国鉄から無償譲渡してもらいながらあまりにも無責任ではないか。

荒廃していく保存車輌に見かね、故郷で活躍したシゴハチを後世に残すべく守りたい・・・
その熱意の下、友人である一人の青年が立ち上がった。



はじめてC58という機関車の形態を理解したのは小学生の時に祖父からもらった毎日新聞社発行の
「栄光の蒸気機関車」という写真集で、同線の分水嶺堺田に重連貨物の先頭に立って挑む114号機であった。

中型万能機といわれたC58はこれといって特長の少ない近代化蒸機だったためか人気は低く
まだ花輪線でハチロクが活躍していた頃の陸東のC58は注目度も低かったと聞く。
当時は空前のSLブーム、日々黙々と奥羽山脈を越え続けて来た彼らに脚光が浴びないことが不憫で痛ましく
どうしてニセコのC62や布原のD51ばかりがモテるのかと、縁も所縁もない土地とC58という機関車でありながら
何とも悔しい思いがしたものだ。
昭和48年4月11日に発生した奥羽本線の土砂崩壊により、迂回運転となった特急あけぼの、急行津軽、おが、の牽引は
既に引退を同月24日に控えた陸東のC58に巡ってきた最後の華となった。
このことを相当年数を経てから知った時、地道に働いてきた彼らが報われたような気がして、あぁ良かったなぁと胸の痞えが取れた気がした。
これ以前、地味なC58に栄光あれと一人想いを持っていたのが石北本線1527レ通称大雪崩れであるが
それと並んで陸東のC58に敬意を表し、迂回急行下り津軽2号の列車番号「う403レ」からサイトネームを頂いている。

これらが巡り巡って縁となったのか、大雪崩れのC58が走った石北本線沿線に居を移し
その後、陸羽東線沿線で生まれ育った蒸映制作者であり、今回のプロジェクト発起人の大場氏と知り合うことになる。
現役蒸機を知らない世代の彼であるが蒸気機関車に対しての想いは強く、
そこには自分の親、祖父が若い時、陸羽東線のC58を見て育ち、生活の足にしていたという歴史がひとつにある。
ご祖父に至っては旧日本海軍の兵士となり出征し、既に完全に制空海権を失った東シナ海を大島輸送隊の一員として戦地へ向かわれた方だった。
大島輸送隊は昭和20年4月7日、奄美大島から多くの兵士と貴重な物資を乗せ佐世保へ向かう最中、米機動部隊のグラマンに遭遇する。
人は民間人だろうと言うに及ばず、陸は鉄道、海は漁船に至るまで動くもの全て標的の時代。
防御など皆無に等しい輸送艦に乗る誰しもが戦死を確信しただろうという中、グラマンは反転し難を逃れた。
数時間後、大島輸送隊は戦艦大和を中心とした艦隊と擦れ違う。
それは沖縄に上陸した米軍を叩くべく発せられた菊水作戦、水上特攻に向かう姿だった。
輸送艦が傾くほど総員万歳を以て見送った僅かにして坊ノ岬海戦は始まり、帝国海軍の象徴だった大和は沈没した。
グラマンが反転し輸送艦を攻撃しなかったのは大和を叩くべくその一点に集中したためで、言わば大和によって助けられた命は
生きて再びC58の牽く列車で故郷に帰り、やがて時代を繋ぎ彼がこの世に生を受け、今という歴史へと続く。
C58の1号機が誕生したのは昭和13年、父や母、祖父や祖母たちが若かりし頃から故郷に走っていたという機関車の汽笛は
昭和から平成、令和と時代を超えて彼の胸に響いているのだろう。


これは彼個人の、家族へ思いを馳せる歴史のひとつに過ぎないかもしれないが
全ての人にも何かしらの歴史があり、世の中はそんな歴史の積み重ねだ。
いつの世も、人は暮らしを更に良くしようと上を目指す。
だが、どうしてこうなって来たのかと過去の歴史は忘れてしまいがちだ。
明治維新後、近代国家を目指し西洋文化を取り入れ、現代にかけて古くさい、面倒だと敬遠され、
格式のある一部を除いて消えていった文化も多かろう。
価値観は人それぞれとしても、新しい物が正義と言わんばかりに取り壊された古い物はどれほどか。


少し脱線してしまうが、先日北海道の道北地方にあった美幸線廃止後の動画を見た。
美幸線は宗谷本線美深から興浜北線北見枝幸を結ぶ路線と計画され、昭和39年に途中の仁宇布まで開通し
21年後の昭和60年に全線開通することなく廃止された路線である。
開通日には初めて汽車を見る人もいて、これで日本津々浦々鉄の路が繋がったと最初の列車を旗を振って涙で迎えたという。
また、美幸線が開通する僅か2日前に電気が導入されランプの生活から第二の夜明けが来たと歓喜に溢れたのだそうだ。
廃止から僅か一年半、深々とした雪に埋もれたちまち自然に覆い尽くされた線路。
生産性や合理性ばかりに囚われ、採算の合わないものは一部が必要としても淘汰されてしまう。
当時の国鉄の酷い体質も無視できないが、だからといってただいたずらに切り捨てて良かったのだろうか。





悔しいのは、外野は自分にかかる火の粉ではないとばかりに無関心で、弱者の声は聞かず選択肢も与えられないと言うことだ。
無くすことは簡単だが、鉄道が来るまで暮らしはどのような苦労があり、処女列車が走った時の喜びはどのようなものであったろう。
政治的な背景によって採算など採れない土地に線路を引っ張り、廃止後は住民に押し付ける無責任さ・・・
廃止というのは何も線路に列車が走らなくなるというだけの意味ではない。
廃止はそういった人々の想いを無下にし、そこに至るまでの先人の苦労や地域の歴史を捨てると言うことだ。
大崎市のC58たちにもそれと同じことが言えないだろうか。
C58114に至ってはお召し機並みに整備され、保存先まで回送列車の臨時ダイヤまで組み譲渡された機関車である。
関係者たちはどんな想いで整備をされ、次の時代へと託したのだろう。
歴史的なものは何も芸術や建造物ばかりではないはずである。



世間は今まさに新型コロナウイルスによって経済は麻痺し人々は疲弊している。
非常事態故、たかが荒廃したSLなんかどうだっていい、それどころじゃないと思われるのもごもっともだ。
ただ、このC58を介して改めて世のあり方に疑問を持ち、また保存に携わった人たちの想いに少しでも報いたい・・・
そんなところからプロジェクトに賛同した。
もしも他に賛同して頂ける方がいらしたなら、或いは、一人の青年が行政に向かって立ち上がり行動を起こした熱意から
何かを感じて頂くことが出来たなら、と記事にさせて頂いた。





最後にジブリの「コクリコ坂から」の台詞をお借りして締めくくりたいと思う。

「古くなったから壊すというなら、君たちの頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!
人が生きて、死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!
新しいものばかり飛びついて、歴史を顧みない君たちに、未来などあるか!
少数者の意見を聞こうとしない君たちに、民主主義を語る資格はない!」




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  1. 2020/04/16(木) 03:12:21|
  2. 廃線・保存機
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甦れ、高原の機関車

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山梨県北杜市 清里駅前


蒸気機関車の、とても素敵で大好きな動画作品「蒸映」。
僕はこの作品を単なる個人的趣味の動画ではなく、映画として捉えている。
何度となく心震わされ、時に励まされ、胸が熱く涙腺を緩まされたかしれないが、それを制作公開している友人から
清里駅前に保存されているC56149について連絡が来た。

初夏の高原に訪れた際、静かな月夜に照らされ傷みの進んだ身体を横たえていた149号機。
仮にも駅前、清里という観光地においてその姿は痛々しく、町としてもいい印象は与えないとさえ思え
何とかならないものかなぁと思っていたが、現在、当機を修復するため

「清里駅前C56 メイクアッププロジェクト」
(https://readyfor.jp/projects/kiyosatoc56149)

としてクラウドファンディングで支援を呼びかけており、友人の周囲で縁もあったことから動画配信がされた。





蒸気を上げ汽笛を慣らし、大地を揺るがす走る蒸気機関車は魅力的だし、どうしても注目が集まるのは人情だろう。
一方で静態保存機は注目度が低く、手入れが行き届き幸せな余生を送っている機関車は少なく
人々から忘れ去られ荒廃し既に解体された機関車もいる。
動画内でも流れているが、一度解体されてしまえば二度と元に戻すことは出来ず、
ある人にとっては大切な思い出があり記憶が刻まれており、解体はその記憶や歴史をもバラバラにされてしまうに等しい。
蒸気機関車だけにとどまらず、人々に惜しまれつつ解体されたもの数知れず
悲しいことに、とかく日本はそういった価値観に乏しいように思う。
写真に残る、人々の胸に残る、そんなものだけでは語れない、済まされないものがあると僕は思うのだ。

149号機に縁があった訳ではないが、個人的にもC56という形式は思い出がたくさん詰まった機関車であり
両親も八ヶ岳山麓の風景には一方ならぬ想いもあるため、微力ながら一家で支援に参加させて頂いた。
一度ボロボロに荒廃したため、再び煙を上げて走れることは望めない機関車であるが
是非とも支援が成立し、今一度きれいに修復されて披露されることを切に願うばかりだ。




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  1. 2019/09/18(水) 11:46:52|
  2. 廃線・保存機
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高原に眠る

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小海線 清里駅


深夜の八ヶ岳山麓、清里は肌寒かった。
夏でこれなら冬は推して知るべし高原の地にC56は眠る。
かつての保存先では見る影もなく荒れ果て、その後外見をきれいに修復して今に至るが
今再び荒れ始めた姿が痛々しい。
人目に付く駅前という立地でありながら手入れもされずにいるというのも街のイメージによろしくない。

鉄道発祥の地英国では廃線となった土地を買い戻し、線路を敷き直し、車輛を整備し走らせるお国だ。
その路線は数多く、中には運行も昔ながらの手法を採り、駅員も信号係も機関士も、全て愛好家で行う所もあるという。
好きな者が集まって役割をこなすから事故も皆無というから驚きだ。
保存してある機関車を復活させるのが精一杯の我が国では及びもせず、
蒸気機関車を新製までして本線を走らせる英国とは雲梯の差だ。
価値観が違うとはいえ、古いものも大事にし、過去のものを遺産として捉える文化を少しは見習いたいものだ。




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  1. 2019/07/26(金) 22:59:46|
  2. 廃線・保存機
  3. | コメント:0

消えた鉄路

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旧国鉄士幌線 タウシュベツ川橋梁


1987年3月に廃止された旧国鉄士幌線。
糠平周辺に点在するコンクリートアーチ橋梁群は北海道遺産に指定され、そのひとつのタウシュベツ川橋梁は
1955年、糠平ダム建設により新線に切り替えられてダム湖に沈んだ旧線跡だという。
雪解けと共に水位は上がり、夏以降は水没することから幻の橋として知られている。
遺産登録後、糠平湖周辺林道は許可を得なければ通行できないが、それ以前好きなように林道をバイクで走り回れていた頃が懐かしい。
そこには橋梁跡のみならず、広大で豊かな森と清らかな水が造り出した、しばらく動きたくなくなるほど圧倒的な自然風景が広がっていた。

橋は年々崩落が進み、美しいアーチもあと数年の内に見納めとなろう。
補修による保存の声もあると聞かれるが、僕はこのまま朽ちていく方がいいと思う。
後世に残す重要さよりも、森に横たわる骨となった鹿や木々の躯などと同じように、ここの掟に沿い静かに消えていく…
ここは人間のエゴなど通じない大自然が主役なのだ。



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旧国鉄士幌線 糠平~幌加


かつて森林業で栄えた終点の十勝三股は最大で1500人ほど人が暮らしていたという。
煙が消えて約3年後、糠平~三股は運行休止となり、列車は走ることなくそのまま廃線を迎えた。
それから三十数年、キューロクが歩んだ路は部分的に手入れもされてるようだがほとんど周囲は森に還っていた。




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旧北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 陸別


北見と池田を結んでいた池北線。
JR化後、第三セクターに転換され2006年4月に廃止となる。
車輛も新型になり、駅舎も改装、蒸機の運行もされ、その力の入れ具合から何とか持ちこたえてくれるかと淡い期待をしたのが甘かった。
最後まで残っていたハエタタキと牧歌的風景の車窓を地元にいながら追いかけなかったことが悔やまれてならない。


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廃線跡を使った体験運転も人気とのことで時々列車の音が響くのだろう。
そんなこともあって駅構内は現役時代の面影が見え隠れする。
まだ雪の残る砂利のホームにいるとヘッドライトを照らした短い列車がやって来るような錯覚を覚えたが
点灯してない信号機に、やはりここも消えてしまった鉄路なのだとまだ春遠い風が隙間風のように胸の奥まで吹き込んだ。




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  1. 2019/03/22(金) 23:21:31|
  2. 廃線・保存機
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