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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

甦れ、高原の機関車

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山梨県北杜市 清里駅前


蒸気機関車の、とても素敵で大好きな動画作品「蒸映」。
僕はこの作品を単なる個人的趣味の動画ではなく、映画として捉えている。
何度となく心震わされ、時に励まされ、胸が熱く涙腺を緩まされたかしれないが、それを制作公開している友人から
清里駅前に保存されているC56149について連絡が来た。

初夏の高原に訪れた際、静かな月夜に照らされ傷みの進んだ身体を横たえていた149号機。
仮にも駅前、清里という観光地においてその姿は痛々しく、町としてもいい印象は与えないとさえ思え
何とかならないものかなぁと思っていたが、現在、当機を修復するため

「清里駅前C56 メイクアッププロジェクト」
(https://readyfor.jp/projects/kiyosatoc56149)

としてクラウドファンディングで支援を呼びかけており、友人の周囲で縁もあったことから動画配信がされた。





蒸気を上げ汽笛を慣らし、大地を揺るがす走る蒸気機関車は魅力的だし、どうしても注目が集まるのは人情だろう。
一方で静態保存機は注目度が低く、手入れが行き届き幸せな余生を送っている機関車は少なく
人々から忘れ去られ荒廃し既に解体された機関車もいる。
動画内でも流れているが、一度解体されてしまえば二度と元に戻すことは出来ず、
ある人にとっては大切な思い出があり記憶が刻まれており、解体はその記憶や歴史をもバラバラにされてしまうに等しい。
蒸気機関車だけにとどまらず、人々に惜しまれつつ解体されたもの数知れず
悲しいことに、とかく日本はそういった価値観に乏しいように思う。
写真に残る、人々の胸に残る、そんなものだけでは語れない、済まされないものがあると僕は思うのだ。

149号機に縁があった訳ではないが、個人的にもC56という形式は思い出がたくさん詰まった機関車であり
両親も八ヶ岳山麓の風景には一方ならぬ想いもあるため、微力ながら一家で支援に参加させて頂いた。
一度ボロボロに荒廃したため、再び煙を上げて走れることは望めない機関車であるが
是非とも支援が成立し、今一度きれいに修復されて披露されることを切に願うばかりだ。




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  1. 2019/09/18(水) 11:46:52|
  2. 廃線・保存機
  3. | コメント:0

高原に眠る

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小海線 清里駅


深夜の八ヶ岳山麓、清里は肌寒かった。
夏でこれなら冬は推して知るべし高原の地にC56は眠る。
かつての保存先では見る影もなく荒れ果て、その後外見をきれいに修復して今に至るが
今再び荒れ始めた姿が痛々しい。
人目に付く駅前という立地でありながら手入れもされずにいるというのも街のイメージによろしくない。

鉄道発祥の地英国では廃線となった土地を買い戻し、線路を敷き直し、車輛を整備し走らせるお国だ。
その路線は数多く、中には運行も昔ながらの手法を採り、駅員も信号係も機関士も、全て愛好家で行う所もあるという。
好きな者が集まって役割をこなすから事故も皆無というから驚きだ。
保存してある機関車を復活させるのが精一杯の我が国では及びもせず、
蒸気機関車を新製までして本線を走らせる英国とは雲梯の差だ。
価値観が違うとはいえ、古いものも大事にし、過去のものを遺産として捉える文化を少しは見習いたいものだ。




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  1. 2019/07/26(金) 22:59:46|
  2. 廃線・保存機
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消えた鉄路

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旧国鉄士幌線 タウシュベツ川橋梁


1987年3月に廃止された旧国鉄士幌線。
糠平周辺に点在するコンクリートアーチ橋梁群は北海道遺産に指定され、そのひとつのタウシュベツ川橋梁は
1955年、糠平ダム建設により新線に切り替えられてダム湖に沈んだ旧線跡だという。
雪解けと共に水位は上がり、夏以降は水没することから幻の橋として知られている。
遺産登録後、糠平湖周辺林道は許可を得なければ通行できないが、それ以前好きなように林道をバイクで走り回れていた頃が懐かしい。
そこには橋梁跡のみならず、広大で豊かな森と清らかな水が造り出した、しばらく動きたくなくなるほど圧倒的な自然風景が広がっていた。

橋は年々崩落が進み、美しいアーチもあと数年の内に見納めとなろう。
補修による保存の声もあると聞かれるが、僕はこのまま朽ちていく方がいいと思う。
後世に残す重要さよりも、森に横たわる骨となった鹿や木々の躯などと同じように、ここの掟に沿い静かに消えていく…
ここは人間のエゴなど通じない大自然が主役なのだ。



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旧国鉄士幌線 糠平~幌加


かつて森林業で栄えた終点の十勝三股は最大で1500人ほど人が暮らしていたという。
煙が消えて約3年後、糠平~三股は運行休止となり、列車は走ることなくそのまま廃線を迎えた。
それから三十数年、キューロクが歩んだ路は部分的に手入れもされてるようだがほとんど周囲は森に還っていた。




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旧北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 陸別


北見と池田を結んでいた池北線。
JR化後、第三セクターに転換され2006年4月に廃止となる。
車輛も新型になり、駅舎も改装、蒸機の運行もされ、その力の入れ具合から何とか持ちこたえてくれるかと淡い期待をしたのが甘かった。
最後まで残っていたハエタタキと牧歌的風景の車窓を地元にいながら追いかけなかったことが悔やまれてならない。


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廃線跡を使った体験運転も人気とのことで時々列車の音が響くのだろう。
そんなこともあって駅構内は現役時代の面影が見え隠れする。
まだ雪の残る砂利のホームにいるとヘッドライトを照らした短い列車がやって来るような錯覚を覚えたが
点灯してない信号機に、やはりここも消えてしまった鉄路なのだとまだ春遠い風が隙間風のように胸の奥まで吹き込んだ。




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  1. 2019/03/22(金) 23:21:31|
  2. 廃線・保存機
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追憶の国鉄日中線

前日、郡山からED77の牽く旧型客車に揺られ初の会津若松入りを果たした後、気動車で喜多方へ向かった。
廃止まで約3ヶ月に迫った日中線に乗るためだ。
これらの列車の連絡は僕にとっては夢のような豪華なオンボロ列車黄金リレーであり、
スピードが身上の新幹線では飽きて飽きてどうすることも出来ないものと比べると対照的だったが
それに乗るためには我慢するしかない。

当時、日中線は朝一本、夕方二本の日中走らぬ日中線として揶揄され、
旧型客車二輌をDE10が歩くような速度で終着熱塩までのおよそ11キロを30分ほどかけて結んでいた。
雑誌等で見る日中線の干からびた雰囲気を廃線となる前になんとしても一度見ておきたい…
喜多方駅の端に取り残されたような0番線に発車を待つ18時25分発の最終列車がいた。



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先ずは念願の乗車を果たし、喜多方の民宿で一泊した早朝に始発列車を迎えるべくタクシーで熱塩を訪れた。
今年初だと運転手が教えてくれた薄っすらと雪化粧した景色は更に叙情的なものへと変えており
始発列車が来る前の熱塩駅は廃墟のような趣きで、ぼんやり点灯している灯りが辛うじてまだ存続していることを思わせる。
しばらくすると蒼黒い景色の向こうに光点が見え、乗客ゼロの始発列車が到着した。
到着すると車掌は機関車と客車の解結を済ませ機関士と機回しの打ち合わせをし、誘導、転轍機転換を行う。



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国鉄日中線 熱塩駅    1983年12月撮影


機回し線は殊更貧弱で、DE10が足を踏み入れるとギシギシミシミシと軋む音が不安になるほどだった。
列車の反対側への連結を済ませると列車暖房菅が繋がれ客車後部から蒸気が流れ出る。
発電機を持たない客車ならではの光景だ。

その作業が終わったのを見越したかのように程なくして一人、二人と学生たちがやって来る。
廃線にする必要があるのかと疑問に思うほど車内は満員になり、鉛色の空にホイッスルも高らかに熱塩駅を発車していった。

次の列車は夕方までやって来ない。
なにせ二番列車は17時半発なのだ。
ここまで乗せて来てもらったタクシーに撮影が終わるまで待っててもらい、
料金は忘れてしまったが一万円で釣り銭はかなりあったと思う。
寅さんみたく
「釣りはいらねえよ。かわいい孫にでも飴玉のひとつでも買ってやっておくんな」
とは言えなかったが、小僧の分際でわがままを聞いてもらった礼金として受け取らなかった。

早朝一本のシーンに一杯の満足感を覚えながらも、喜多方から若松までDD51の牽く旧客列車、
若松から小出まで雪深い只見線に乗車して帰路に就いた。
磐越西線の電化非電化共に旧客も残り、この当時の会津は濃い鉄道旅行が出来た最後の時代であった。
時に昭和58年12月のことである。




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  1. 2018/12/18(火) 23:08:33|
  2. 廃線・保存機
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初めての被写体

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梅小路蒸気機関車館 1977年頃



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島根県津和野町 2014年10月撮影


今やスマホでも十分きれいな写真を誰でも気軽に撮れる時代になった。
そんな方々にとって、生まれて初めて写真を撮った被写体はなんだったであろうか。

僕の場合は蒸気機関車である。
現在の新川崎駅近く、当時の新鶴見操車場でのD51、それも戦時型が最初だ。
勿論その頃はまだまだ幼かったので父親のカメラを借りて撮ったものだが、
ハンプへと押し上げられるのを待つ長大な貨物列車の向こうを走るものであったため機関車全体が写っているものではなく、
辛うじてカマボコドームやキャブ上面が分かるという非常にお粗末なものであった。
残念ながら写真は手元にないが、実家の古いアルバムにはまだあるはずだ。

全国で幅広く活躍し、輌数も残っていたD51は遠方へ行っても見れたので撮影しなかった方もいたと聞く。
今にすればなんとも贅沢に聞こえるが、幼稚園や小学校低学年の分際だった僕ですら
同じD51でも当たり前のように走っていた新鶴見のものより、集煙装置を付けた中央西線や篠ノ井線、
関西本線の重装備のD51に釘付けだったし、異形式の機関車を見るとそっちに心が奪われたりしたものである。
出来ることなら山口線に復活したD51200も貨物機らしく、いやデゴイチらしく、
ボイラーバンドの金帯などの装飾は止めて、現役時代の山口線に走っていた同形式同様に
長野式集煙装置をつけて走ってもらいたいものだが受けは良くないのだろうか。

いずれにせよ現役蒸気最晩年の、ほんの僅かな時代しか知らない世代でありながら
半流型、量産型、戦時型と主だったD51のバリエーションと、山岳重装備の姿が見れたというのは誠に幸運なことであった。




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  1. 2018/12/07(金) 00:21:02|
  2. 廃線・保存機
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