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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

北酒場

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北海道北見市


北見市は北海道オホーツク総合振興局にある道内一の面積を持つ10万都市である。
といっても平成の大合併で増えただけで、駅を降りてみると「こんなちっぽけなの?」と思うこと請け合いだ。
初めて北海道を訪れた20代前半の頃の北見は「結構大きな街だな」と思ったものだが
それから約10年後に移り住み、年々活気が失われていくのが目に見えるようだった。
東急デパートがなくなり、北海道ちほく高原鉄道もなくなり、街中心部は寂れていく一方だ。
日赤病院が建て替えられ、機関区や構内跡地周辺は図書館が建ち、駅前にはバスターミナルが移動新設され
ビジネスホテルが並び何やかんややっているが、夜の歓楽街は街灯りも人通りも少なく閑古鳥が鳴く。
最近では以前からずっとあった大きな居酒屋がコロナ騒ぎで閉店したと聞いたから、まだ萎んでいきそうな気配だ。

以前飲みに出た時に、友人とこれくらいで丁度いいよねと歩きながら話したことがある。
そう、このくらいで丁度いい。札幌では明る過ぎる。首都圏はドぎつ過ぎてちょっと勘弁願いたい。
北見の寂れた街くらいの灯りでいい。歩く人もポツポツくらいでいい。それもたまに行くくらいでいい・・・。

街へ出ると大概立ち寄った古い居酒屋があった。
カウンター席が数席、奥に小上がりが6席だけの家族で営む小さな飲み屋さんだった。
畳も座布団もかなり疲れていてお世辞にもきれいとはいえなかった店の料理は、安くて旨くて、口数少ない大将も
皆から母さんと呼ばれていたおカミさんもいい人だった。
「久々に飲みにでも行こうや」と誘われて立ち寄ったのが最後、来週閉店すると聞かされ一同マジかー!と残念がった。
それからというもの、そういった古くさい落ち着く飲み屋さんは見つからずチェーン店で済ますことが多くなった昨今
気になる店が一軒だけあったのが上記の絵面である。
鉄道とは全く関係がないと言えばないのだけれど、そうとも言えない訳がこちらである。



PB190006-1fc.jpg


食事処 D51 !! キタ━(゚∀゚)━!

たぶん居酒屋というより大衆食堂の部類なのかもしれないが、このネーミングが非常に気になって仕方ないのだ。
「模型のデゴイチがトンカツとか運んで来るんべか?」
「いやいや、店の真ん中に動輪とかがあるんだべさ」
などと笑いあったが、未だに入ったことがない。

古い佇まいは昭和そのもので、ここだけポツンと取り残されたかのようにあり
日中に見るととても営業しているとは思えないほどの廃れ感がある。
蒸気機関車の時代、北見は鉄道要衝の街だったから、まさかその頃からのものなのか。

雪がチラつく夜の街。おー寒っっ!と襟を立てたコートの雪をパッパと払いガラッと戸を開ける。
テレビを聞き流し新聞を見ながら煙草を吹かしていたオヤジに、ルイベと熱燗二・三本つけてやと頼んで小汚い座敷に上がる。
黄ばんだ壁には誰が寄贈したのか常紋峠で苦闘するD51とキューロクの色褪せた写真・・・
風にガタガタと鳴る窓ガラス、流れる八代亜紀の演歌なんかが似合いそうな、そんな北酒場でしみじみ呑みたいものだ。




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  1. 2020/09/10(木) 01:56:11|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

KATOのN蒸機について

さて、KATOのハチロクにすっかりご機嫌の日々。
2~3輛の短い客車列車に数輛の貨物列車、或いは混合列車にさせて、逆向きワフ1輛の最短貨物列車と
様々なことをして遊べばもうどこにも行かなくったっていい。これでコロナも安心だ?!
赤ちょうちんよろしく、コップに安い日本酒をトクトクっと注げば肴はハチロク、そうお酒に強くない瞼は
あっという間に夜汽車の中へと夢が続く。

いつもながら期待以上の素晴らしい製品を出してくれたメーカーに感謝感激、こんなに良ければ
次はどんな風になっていくのかと早くも気になってしまうのが人情というもの。
ならばと今後のN蒸機の期待と、先ずあり得ないだろう個人的希望を含めて記してみよう。
長文となるので興味ない方はどうかスルーして頂きたい。


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8620デフなし
これはもう先述の通り、デフなしこそ大正ロマンのハイセンスなハチロク本来の姿(バッファーリンクとまでは言わない)。
デフありも、東北仕様から普通屋根の汎用性を持たせたスタイルを発売すれば、また歓迎されるはずだ。
ところで英国風と言われるハチロクに疑問を持っているのは僕だけだろうか。
国産化にあたり、キャブを含めて酷似している部分が多いベースとなった8800形はドイツ機である。

9600北海道型・一段ランボード
ファインスケール化される以前のモデルはランボードが二段タイプのものだった。
過去に各社から出たキューロクもほとんどが二段で一段式は少ない。
現役時代を知る方々からすれば違うのかもしれないが、道東・道北のキューロクは何となく一段のイメージが強い。
日本最後となった形式でもあるし、北海道型が出たら狂喜乱舞。
今回のハチロクでは貨車セットを買うと副灯、パイプ煙突とバリエーションを持たせるキットが付いてきた。
そうしたい方々には、わざわざ貨車セットを買わなければならないというメーカーの欲深い商売根性に乗らなければならなかった訳だが(失礼)
なかなか上手い商売をされ、そういう自分も釣られたクチだ。
そこで思ったのが、キューロクのようなバリエーションが無限ともいえる機関車については標準的な形態を母体として
デフやランボード、テンダーとオプションパーツを販売することは出来ないものだろうか。
北海道仕様、九州仕様などのオプションを出し、エアータンクの位置やテンダーの形態を好みで差し替えれるようにすれば
〇〇型と別々の形態をメーカーも作らなくて済むと思うのだが。
あくまでも僕は素人だから、それに伴う取付けパーツの流用性やメーカーの都合はどうかは分からないけれども・・・。

C50デフあり
両毛線を、全国的にも珍しい貨客を牽いて活躍していた頃のシゴマルは、実機のスピード感ある美しさと
入換に勤しむ寡黙さのイメージあり。
メーカーとしてN蒸機初となった当機を、完成の域に達した感のある足回りで三度再現して頂きたい。

C58東北型
憧れの列車のひとつである迂回急行津軽。小牛田区でも新庄区でもいいのでファインスケールで得た技術を総動員して
お願いします、KATOさん。ついでに戦後型も出たら尚嬉しい。401は新庄区の華。
この形式も北海道型、九州型とオプションパーツで出せないものか・・・。
北見区のエースであったトップナンバー、JNRマークの33、生涯をほぼ北見区で終えた戦後型ノーマルデフの391
門デフ277、幻に終わったC63を思わせるラストナンバー427は特に好み。

C55
自ら身を投じて列車を止めた散るぞ悲しき塩狩に、白き衣を纏う機影は流改おいて他ならず。
合わせて霧島山麓に颯爽たる煙を棚引かせ、K-7型門デフ装備機も是が非でも出して欲しいところ。

C57
既に4次型、1次型と発売され、スタイルも走行性能も文句なし。
そろそろ門デフ仕様が出てもいいのでは?
特急かもめ指定牽引機であったキャブ側面に明かり窓付きC5711はマニアックすぎかしら。
開放的な明るさを持つ南国のシゴナナには心惹かれます。

C11二次型
モデル化されたのはTOMIX他各社も含めて3次型のみ。
C11本来の都市間快速仕様のスマートな2次型が無いのが不思議。(あってもマイクロエースのポンパだけというのは寂しすぎ)
日中線のイメージが湧く63、64、80、倉吉線の41と有名どころの2次型もある訳でいかがだろう。

D51半流型/戦時型 /戦時型北海道
ファインスケールとして数種類のタイプを出してくれたメーカーには感謝。
大畑越え重装備の1151の迫力はケタ外れ、門デフ1038も痺れます。
凍てついた狩勝峠、北見区で常紋を越えたであろう1153は戦時型の密閉キャブがたまりません。
中京地区の麗機、半流型2号機が出たら爆死モノ。

D50
勾配線区の乗務員から絶大な信頼感があったという古武士の異名をとるD50。
今日の鉄道基準の礎となったD50を出さない理由はなし。

D60
D型機でD51と並んで好きなのがD60。夕日の馬主来を行くD60は是非見てみたかったところ。
横黒線(北上線)、磐越東線のD60はみちのく横断線の雄。
今をときめく山口線はD60。
門デフ、化粧煙突の61は、無骨さと美しさを備えた絶妙なスタイルだと個人的にも大のお気に入りだ。
他形式の陰になった感もする当機だがらといって、このいぶし銀のような機関車を忘れてやしませんか?

C56ノーマルキャブ/C56160
発売当時、そのスタイルと走行性能に驚きの連続だったC56。
今でも十分な走行を見せるけれども、エンジン部が小型機故の軽さのせいか、続々と出る新作と比べると
極低速時に多少安定性が落ちるかな?と感じることもあり。
そこでせっかくC12やC11で得た技術の先輪集電を取り入れるとか、C12と同じく主動輪も線バネで集電するなど
一層安定性が出たら更にシゴロクっぽさが出るように思う。
また、そろそろ小海線仕様のみからバリエーションを増やしても罰は当たらない。

C51
国鉄の制服制帽のボタンのモチーフにもなった(?)動輪マークのC51。
超特急燕の「超」は、後の東海道新幹線開業時の超特急ひかり以前に使用された我が国初の称号だ。
蒸気機関車でありながら東京~名古屋ノンストップの、新幹線まっつぁおの無停車記録を打ち立てた栄光の機関車である。
その栄光をNゲージの世界にも是非!(後補機連結の運転停車の突っ込みはご勘弁)



それから今後の蒸機全般に、キャブ内照明点灯も取り入れて頂きたい。
実機は計器確認のこともあり夜間でも照明は点いていたはずで、C55から始まったキャブ前方の斜めにカットされたスタイルは
夜間運転時に窓ガラスに映り込む視界不良を改善する意味でなったもの。ただの美的感覚でなったのではない。
そういった本来の理由を活かす意味からもキャブ内照明は、これだけクオリティをあげたメーカーのプライドからも実践して頂きたい。   
照明化されてるレイアウトをお持ちの方なら、夜行列車で機関車だけ真っ暗という不自然さからの解消は歓迎されると思われる。

それから軟質パーツによるフルディテールについて一言言わせて貰えれば
パーツを破損させてしまうリスクからも、あまりゴチャゴチャとさせなくてもいいのではないかと言うことと
建て付けの甘さが感じられると言うこと。
些細なことかもしれないが、非公式側のランボードが湾曲していたC56を見た時のショックは相当なものだったと
メーカーには知って頂きたい。
せっかくのお気に入りのC56が反対側を見たらグニャグニャでした・・・では洒落にならず、
工作力も知識も器用さもない自分でありながら必死に分解し、変な汗をかきながらやっとの思いで修復した。
そこで何かあったら自己責任にされてしまうのだから、やはりその辺はしっかりしてもらいたいと思う。
鉄道模型をやる人は全てがモデラーではないのだから。

すっかりKATOに押され気味のTOMIX蒸機だが、全体的な作りはKATOよりもカチッとしており好感が持てるものだ。
C11325に至っては、どうしてこの走行性能で製品化したかなぁとガッカリしたのが正直な感想であるとはいえ
スタイルはシャープで非常にまとまったものと評価している。
製品に対するコンセプトが違うに留めず、いい所は取り入れてもらってより良い製品化を進めてもらいたい。


番外編として。
ワフ29500のテールランプの両面化。
再生産されても相変わらずデッキ側のみのテールランプ点灯では寂しい限り。
常にデッキ側が後部とは限らない。
それくらい自分で加工しろよと言われればぐうの音も出ないのだが・・・。

ワムフ100形
キューロク北海道型とセットでもいいので出してもらいたい貨車である。

ワフ21000/22000形
蒸機牽引貨物列車には欠かせない。

スハ45並びにオハ62系統
北海道、北東北といえば二重窓。TOMIXでは製品化もあり、KATOとしても競合を求む。
ワフ29500と同様、緩急車には両妻面のテールランプ点灯化は施して頂きたい。
「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で、網走に向かう寅さんが乗った夜行列車のシーンでは
恐らくセットであろうスクリーンに映し出された客車のナンバーはオハ62130とオハ62形のラストナンバーであった。
(因みに、さくらが寅さんを迎えに網走へ向かう列車は「大雪崩れ」で、牽引機は前述のC58391)
さすが鉄道ファンの山田洋次監督らしいとはいえ、映画でさえもそこまでするのである。
我が儘なマニアの集まりでもある鉄道模型の世界でも、どうでもいいと思える細かな客車があってもいいのではないだろうか。




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  1. 2020/09/06(日) 04:46:01|
  2. 雑記
  3. | コメント:2

他国の若者に教わった戦争

二十代後半、仕事の関係で数名のフィリピンの方と知り合った。
片言の日本語で、「ボクタチハ、アナタガスキデス」と言われ、「えっ、ケツは貸さねーぞ」と尻を手で覆うと
「チガイマス、ライクノホウデスヨ」と冗談が通じ合った気持ちのいい人たちだった。
ある時、ゴハンイキマショウと誘いを受け近場のファミレスに入り、ひとしきり喋った後不意に聞かれた。


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靖国神社 2014年8月16日


「どうして日本人は特攻を悪く言いますか?」(面倒なので平仮名にします)
「だって、資源のない国なのに貴重な航空機を無駄に使って、何より尊重するべき人の命を部品扱いにして
敵に突っ込ませる人道に反する行為をしたんだから当然じゃない?」
「でも、そのお陰で僕らは植民地から解放されました。白人は何も与えてくれませんでした」
といい、更に言葉を続けた。
日本人は紙と鉛筆を与えてくれ、日本の歌も教えてくれたこと。
おじいちゃんは日本に感謝していて、私は日本語をおじいちゃんとお父さんに教わったのだと。
特攻は自分の命を犠牲にして僕らの代わりに戦ってくれた、だから悪く言わないで。もっと感謝してください。
そんなようなことを言われた。
フィリピンでも日本兵に奴隷のように扱われたり、女性は性処理の道具扱いにされてもいて、
ゲリラに殺された日本兵も多くいるから、一部の地域を除いていい目では見られてないだろうくらいに思っていた。
ましてや特攻隊など、同じ日本人でさえ無謀で無策な殺戮行為だと嫌悪する者もいる中で
余所の国の者から感謝してくれと言われたこと、余所の国の者の方が日本人より知っているのことのショックを受けた。

多分、終戦記念日だからといって、この日に合わせて追悼に関連する報道とかやってるようじゃだめだ。
ドラマで、如何にも被害者ぶったお涙頂戴的な日本目線のものだけでもだめだ。
戦争を知らない僕らなど想像もつかない、血肉と火薬と断末魔と、目を背けたくなるような事実を知らなければならないと思う。
戦時オタクになれということじゃなく、そこでどんな戦いがあったのか、さては大東亜戦争とはなんだったのか、
とりわけ歴史観がないと言われる日本人には、自分も含めて知る義務があると思う。
今現在を直面していることだけに囚われ、物事の判断をしているようでは、きっといつまでも変わらない。


鹿児島県は知覧飛行場、陸軍特別攻撃隊の整備兵をされていたという元軍人の方と話した時のこと。

まだ二十歳にも満たない子供子供した奴らが毎日毎日、特攻で死んでいくんだよ。
おれらはその子たちを死なせるために飛行機を整備してたんだ。
搭乗機に乗り込む前に、ありがとうございましたとウチらを労って飛んでいくんだよ。
もう可哀相で可哀相で、それがどんなに悲しくて悔しいことか分かるかい?
今のこんな国の有様を見て、おれらはこんなことのために戦ってたんじゃない、死んでいったんじゃない。
こんなことならさ、いっそ軍国主義に戻しゃあいいんだよ。
そうすりゃ、少しはまともになるだろ。

一番辛い思いをされた戦争経験者にこんなことを言わせてはいけない。




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  1. 2020/08/15(土) 10:23:51|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

終戦記念日前に思うこと

注)今回は鉄ではありません。


今のコロナ騒ぎを見ていると、あるTV番組を思い出す。
「帰ってきたウルトラマン 第33話 怪獣使いと少年 (1971年 TBS系にて放送)」

とても少年番組とは思えない内容に強烈な印象を叩き付けられ、今も語られる問題作だ。


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ある嵐の夜、少年が怪獣ムルチに襲われていた。
飢えと恐怖で気を失った少年の元にある者が近付き、念力でムルチを地中に閉じ込めてしまう。
その者はメイツ星から地球探査のために来たメイツ星人だった。
河川敷で穴を掘る不思議な少年には宇宙人との噂が広まり、三人組の不良中学生に穴に埋められ
泥水を頭から浴びせられるなど虐めを受けてしまう。
そこへ駆けつけたMAT隊員の郷秀樹(ウルトラマン)が止めに入るが、以降も不良中学生の執拗な虐めは続き、
陰から見守るメイツ星人の念力によって中学生は放り投げられ、少年の宇宙人説は深いものになった。
少年の名は佐久間良。北海道江差の出身で、炭鉱夫だった父親は閉山のため東京に出稼ぎ消息不明。
母親は病死し、天涯孤独となった良は父親を求めて東京に出るも、そこへムルチに襲われ、金山と名乗るメイツ星人に助けられたのだった。
二人は廃墟に住み、良はいつしかメイツ星人の金山をおじさんと呼び、親子の情愛に似た絆で結ばれていたが、
金山は地球の環境汚染に身体を蝕まれて死を迎えようとしていた。

MAT 隊長の伊吹は、地中に埋めたという宇宙船を掘り出し、良はいつか金山とメイツ星に行き地球を捨てる覚悟でいるという郷の報告受け、
「日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を握ると、どんな残忍極まりない行為をすることか。
もし、その二人の絆を宇宙人だからといって絶たねばならぬことになるならば許されないことだ」と、二人を見守るよう命令する。


ボロボロの傘を差し、商店街で数奇の視線が向けられる良。
あの子、宇宙人なんだってよと偏見で見られ、良はパン屋へ食パンを求めるが女店主は
「あとでいろいろ言われるのよ、あっち行ってよ」と追い返し、それを見ていたパン屋の娘陽子が雨の中を追い掛け良に与えた。
「同情なんてして欲しくないな」
「同情なんかじゃないわ、売ってあげるだけよ。だってうちパン屋だもん、はい120円」
素直に受け取り、ありがとうと喜ぶ良。


郷と良が穴を掘っていたある日、町の人間が各々に武器を持ち
あんた(MAT)が宇宙人を退治しないならウチらでやると良を捕まえ引き摺り回し、何とか制止しようとする郷だったが
暴徒と化した民衆は止られず、そこへ金山が姿を現した。
「宇宙人は私だ。その子は守っていてくれただけだ。どうか放してやってくれ」
それでも収まらない民衆は、警官の発砲した銃により金山は射殺されてしまった。
泣き叫ぶ良、地面に拳を叩き付けて悔しがる郷・・・
やがて、地中に封じ込められていたムルチは金山が殺されたことによって念力が解け、町や工場を破壊し始めた。
民衆は郷に早く怪獣を退治しろと助けを乞う。
「勝手なことを言うな。怪獣をおびき出したのはあんたらじゃないか。まるで金山さんの怒りが乗り移ったようだ」
自分が怪獣から地球を守ろうとしていた人類の身勝手横暴な振る舞いに愕然とした郷は
MAT隊員としての戦いを拒み、ウルトラマンに変身することも拒んでいた。
そこへ雲水に変装した伊吹隊長に、町が大変なことになっているんだぞと促され、ようやくウルトラマンに変身し
ムルチに戦いを挑んで退治する。

金山の亡くなった河川敷では、良が穴を掘っていた。
いつまで掘り続けるのか、それは宇宙船を掘り起こすまでは止めないだろう。
彼は地球にさよならが言いたいんだ・・・。



コロナ解雇だとか、感染してしまった者に対する陰湿な虐めにより仕事を辞めていく者もいて
昨日までは仲のいい友達、信頼しあえる仲間だったのに、手の平をひっくり返されたような仕打ち。
昨日の友は今日の敵とでもいうのか・・・

環境汚染は繰り返され、差別や偏見、様々な虐めに社会問題として取り上げられてきたはずなのに、
セクハラもパワハラも止めましょうとの世のかけ声が、ちゃんちゃらおかしく聞こえてしまうのは気のせいか。
自分たちと少しでも違う意見を言った者に対する誹謗中傷
特に相手が見えないことをいいことに繰り広げられるSNSでの誹謗中傷は残忍卑怯極まりない悪党のすることだ。
伊吹隊長の言葉が突き刺さる。

人間の本性の恐ろしさ、愚かさ、それらが約40年前に描写された少年番組とそっくりに移るこの時世。
いや、様々なものが進歩して時代は進んできたというのに、人間だけは進歩がないと言うことか。
コロナウィルスより人の方が遙かに怖い。




テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

  1. 2020/08/14(金) 05:25:35|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

嗚呼、2号機

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信越本線 牟礼    1971年8月 父撮影


デゴイチ、デコイチ、ディーゴジュウイチ・・・
僕が子供の頃、周囲ではデコイチと呼ぶ方が多かったように思う。
シロクニ(C62)やシゴナナ(C57)など形式名からいえばデゴイチなのだろうが
昔の人は親しみを込めて人になぞり、D51は凸マル(D50)の続きで凸イチの愛称になったとかいう説もあり。
どっちでもいいっちゃいいのだが拘る方もいるところが鉄心理といったやつだろう。
愛称はともかく、D51は僕にとっては特別な存在であることに変わりない。
それは人によってはC11であったり、或いは新幹線であるかもしれない。
ただ僕にとっては生まれた時からすぐ傍にD51がいて、D51の汽笛で育ち、圧倒的に触れたのがD51だった。

いつも見慣れていたD51は所謂量産型、標準型ともいわれるタイプだった。
給水温め器が煙突の前にデンと構え、後は煙突に集煙装置が被っているか、時に戦時型のカマボコドームがいるか、
といった感じでそう大きな差はない。

昭和46年の夏休み、信越本線に運転されたイベント列車「ファミリーD51号」
旧型客車5輛編成の最後部から、カーブを先頭で風切るD51は僕の知ってるデゴイチではなかった。
ボイラーの上にはヌメッとした異様なドーム、煙突前にあるはずの給水温め器がない。

あれはデゴイチじゃない!
と疑った。

長時間停車する牟礼駅で機関車を見に行くと、ナンバープレートには間違いなくD51となっている。
それも総数1115輛もあるD51の№2、2号機ときやがった。
なんだこれ、こんなデゴイチがあったのかとまるで異形式を思わせる姿に仰天させられた。

後からD51の1~85、91~100号機までは半流型、それがD51の原型なのだと知るも
この時僕の知るデゴイチとの違いに戸惑いを覚えながら、貨物用機関車のくせに何て優美なのかと少年心に思ったものだった。
C59やC62ばりの角に丸みを持たせた煙室、煙突から蒸気溜めにかけて給水温め器と砂箱も一体化した滑らかなドーム・・・。
米軍機グラマンF4FワイルドキャットやF6Fヘルキャットなどのぶつ切りにしたような機体と比べると
零戦のエンジンカウリングからキャノピー、主翼、機体尾部に至るまで一連の流れるようなシルエットは
大量生産に適した合理的な米国人らしさと対照的に如何にも手先の器用な日本人らしさが表れているが
D51の初期型にも同じようなことが言え、何と細やかで凝った仕上げだろう。
今の復活蒸機とはまた違う、油でよく磨かれ煤が擦り込まれたような美しさと重厚感も惚れ込むのに一役買い
夏休みの絵日記と、その年の図工の絵はD512ばかりとなった。
結局D51の半流型を見たのはこれが最初で最後となり、長野式集煙装置を付けたD51が標準型だった僕の中で
この2号機だけは今も異彩を放っている。

彼は引退後も解体されず大阪の交通科学博物館に保存され、いつか再会を目論んでいたところ
当館閉館にあたり岡山の旧津山区扇形機関庫であった「津山まなびの鉄道館」へと道程は遠くなってしまった。
それでもこちらが生きてる間に何とかして会いに行きたいと思っている。
互いの場所からして、恐らくそれが2号機との今生の別れとなるだろうけれど是非叶えたい。




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  1. 2020/06/29(月) 23:46:34|
  2. 雑記
  3. | コメント:4
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当ブログは写真ブログではなく、あくまでも日記の立ち位置のつもりでいます。写真は落書き代わりのいい加減なものですので、予めご了承下さい(´▽`;)ゞ

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