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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

鎮魂の笛

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埼玉県 所沢航空発祥記念館    2012年12月撮影


米国プレーンズ・オフ・フェイム航空博物館所有の旧日本海軍零式艦上戦闘機52型は
世界でたった一機、オリジナルの栄21型エンジンで飛行できる唯一の零戦だ。
我が国初の引込脚式単座戦闘機で、主任技師はジブリアニメの「風立ちぬ」で登場した堀越二郎である。
因みに零戦の零とは、制式採用された昭和15年は日本の年号でいう皇紀2600年の末尾を取ったものであり
令和元年の今年は皇紀2679年にあたる。

当時、泥沼化していた日中戦争で現地から一刻も早く新型戦闘機をの要望により
試作機段階の十二試艦上戦闘機のまま前線に送られ、その後、零式一号艦上戦闘機一型として
(昭和17年4月、呼称変更され零式艦上戦闘機11型となる)制式採用された待望の戦闘機だった。
初陣は昭和15年7月の重慶爆撃護衛の任であり、初撃墜は13機で出撃にした三回目で
精鋭揃いであった中国空軍のソ連製イ15、イ16戦闘機27機を全機撃墜、味方損害0という圧倒的なものだった。

中国軍の戦闘機は既に旧式化していたとはいえ、敵機撃墜は容易ではない。
撃墜王(エース)と呼ばれるには何機以上落とせばいいのかというと、たったの「5機」である。
しかし1機撃墜するには想像し得ない技術と集中力が必要で、例えるなら暴れ馬の背に乗って針の穴に糸を通すほどだという。
生き残った方の書物や、実際に真珠湾攻撃で空母赤城に乗艦された方の話によると
二十歳前後の若者とはいえ戦闘機搭乗員の眼光は鋭く、飛んでるハエを箸で掴めたそうだ。
時代が進み老人となった元戦闘機乗りが、街で「おい、ジジイなめんなコラ」と絡んできた複数人のヤクザを
一目睨んで退散させたというから、死線を掻い潜り、実際に人を殺してきた目はそれほど恐ろしいのだろう。

そこまで鍛えられた世界有数の搭乗員も、大本営や司令官の愚作と驕りによって疲弊し失われていく。
資源も技術も乏しい島国では零戦に変わる新鋭機の開発も遅れ劣勢、連合艦隊の壊滅、広島・長崎原爆投下、
そして74年前の今日の正午、陛下から国民に対して終戦を報せる玉音放送が流れた。
だが大本営から軍に停戦命令は出ておらず、自衛のための戦闘はまだ許されており、
空では東京を偵察に飛来したB-32二機を、横須賀航空隊の紫電改と零戦、雷電の計10機で邀撃し被弾させ
B-32搭乗員に戦死者が出た8月18日が最後である。
陸戦で知られているところでは同日午前1時頃、突如ソ連軍が侵攻した占守島の戦いがある。
このソ連軍の侵攻は北海道占領を目論むスターリンの作戦のひとつで、武装解除を進めていた守備隊により
必死の防衛を以ってこれを阻止し、戦闘は8月21日まで続いた。
戦死者は日本側資料で日本兵約700名、ソ連兵約3000名と戦果を示すようにソ連軍の流れは止められ、
北海道占領には至らなかったという見方がある。
終戦となった15日の後も戦闘は続き、一歩間違えていたら今日の日本はなかったかもしれない事実があったのだ。



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大井川鐡道 田野口    2019年5月撮影


雷雨を受けて復員機関車C5644が走る。
太平洋戦争開戦から間もなく南方戦線のタイに送られ、映画「戦場にかける橋」のモチーフとなった泰緬鉄道建設に携わる。
動員数は捕虜、現地人合わせて20万とも30万ともいわれ、日本兵とて扱いはタコ部屋労働の
双方とも大量の犠牲者を出した死の鉄道。
破壊されては復旧を繰り返し、銃弾、爆弾、血の雨と降る戦地に比べたら平和の雨なんざ屁でもないわい、と言いたげに。

兵士と共に多くの蒸気機関車たちが海を渡り、奇跡的に復員できたのはたったの二輌。
その内一輌は靖国神社に保存され、44号機だけが今なお生きて祖国の地を走る。
彼の汽笛は戦地で散った戦友や、敵国であった兵士、民間人の霊への鎮魂の笛となって現代に響く。

今の暮らしは、今の贅沢させてもらえる環境は尊い犠牲の上にある。
たった74年前に起きたこと、その歴史を、亡くなっていった人のためにも僕らはもっと知る責任があると思う。
あの悲劇は絶対に忘れてはならない。
何があろうと二度と繰り返してはならない。




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  1. 2019/08/15(木) 10:31:16|
  2. 雑記
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麗しの北と南のC11

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釧網本線 塘路~茅沼 【トリミング有】



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大井川鐡道 田野口~駿河徳山    2018年12月撮影


現在、C11が定期的に運行されている路線は釧網・真岡・東武・大井川の四路線で5輌が活躍する。
蒸気機関車の代名詞的存在がD51ならば、C11は復活蒸機の代名詞的存在のように思う。
各路線それぞれの四季を、それぞれの土地ならではの風景を往く彼らは魅力的だ。
そして現役時代を追いかけられなかった世代にとって、当時と場所は違えど
北海道と九州の形態の違いを今の時代にして見せてくれる唯一の形式でもある。


個人的な好みで恐縮だが、季節的には純白の雪と真っ黒な黒鉄が織りなすC11171に軍配を上げたい。
一方、機関車の形態的には九州の伊達男の面影残る大井川のC11190に一票だ。
LP405の大型前照灯といい門デフといい(この角度からでは分からないというご指摘はごもっとも)、
総じて九州型の蒸機の形態は非常に整っている…というのが印象だ。
ただ、サイドタンク横動防止のステーがない方が僕は好みなのだが…。

ついでに言うと、実は僕はスノープラウが好きではない。
重厚感が出ていいという見方もあるが、C62やD51などのボイラーが太い大型機や厳つい貨物機ならともかく
C11やC57のようなスマートなボイラーを持つ機関車ではせっかくの繊細感や、
1067㎜という線路幅の狭軌感も失われてしまう気がする…というのが理由だ。


どこかの本に、イギリスだかフランスだかの著名なデザイナーが日本の蒸気機関車の中で
C11のデザインは非常に優れている、といったことが書かれていた。
一次・二次型のサイドタンク下とキャブ下のラインが揃った軽快感あるものから三次型の逞しさを増した姿、
戦時型の厳めしさなど、いずれにせよC11はどれを見てもとても格好のいい機関車でいつまでも魅了し続けてくれている。




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  1. 2019/02/16(土) 13:49:17|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

両毛線こそC50

5月19日、両毛線にてD51498による 「SL本物の出会い栃木号」の運行が行われた。
久しぶりに蒸気機関車を見た年配の方は昔を懐かしみ、初めて見る子供たちや
現役蒸気を全く知らない世代にとっては多いに感激された方もいらっしゃるのではないだろうか。
沿線は盛り上がったであろうし、一蒸機ファンとしてもそれは大変喜ばしい限りだ。

両毛線といえばC58、C50の運行線区で、特にC50が戦後も本線を貨物や旅客列車を牽引していた
全国的にも珍しい路線ではなかったか。
少年時代に読んだウンチクによれば、結局C50は旧式のハチロクを越えられなかった不遇の機関車として記載されていた。
それでも戦前は軽貨物や快速列車で活躍し、後の中距離電車の基礎を築くなどしっかりと鉄道史に功績を残しており、
鉄道省時代から長らく勤めていた技術者の故久保田博氏も、ハチロクの生産が長期に渡り過ぎ
問題点の改良されていたC50はもっと早く世に出るべきであり、現場での評価も変わっていたであろうと著書で述べられている。

形態的にも中途半端だと言われることもあるが、僕はこの機関車はとても好きな形式だ。
一度だけ新鶴見操車場で見たことがあってD51を飽きるほど見ていた目には、高いランボードとC56より大きなスポーク動輪、
二つコブとリベット作りのちょっと古めかしい中型のスタイルに釘付けになった。
煤だらけだったけれども
「なんて軽快感のあるかっこいい機関車だろう…」
それがC50の第一印象である。



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小山駅東公園


何度かC50に会いたくて小山に行ったことがある。
公園の中に屋根付きの建家に保存されてるC50123は足回りも油で磨かれ状態もよく逆転機も可動する。
ピカピカに整備されたC50は子供時代に見たものよりもっと繊細な趣きで火を入れれば走りそうだった。

彼が活躍した両毛線は、思川、大平下、岩舟、足利、桐生、国定、駒形…と旅情を感じる駅名も多い。
栃木駅周辺は堀が流れる懐かしい昭和の匂いが残る町並みもあり、一部複線の電化路線ながら好きな路線だ。

アニメ映画「君の名は」の新海誠作品のひとつ「秒速5センチメートル」でもこの両毛線が登場し
中でも木造駅舎時代の岩舟駅が見事に描写されている。
何度目か両毛線を訪れた時には感じの良かった思川や大平下、岩舟までも改築されてしまい、
それでもまだ岩舟駅は辺りの景観を損なわない佇まいだった。



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両毛線 岩舟



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岩舟駅前


また両毛線は夕日がきれいな路線だとも思う。
北関東の足尾山地を背景に平野部を走るC50はなぜか黄昏時に一番似合う蒸機機関車なんじゃないかな…
なんて思いもあり、30年以上前に落書きしてみたことがある。



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当時は両毛線の沿線風景は全く知らず、ただC50という機関車の似合うイメージで落書き帳にザザッと描いたものだが
これが僕のC50像だった。

両毛線のさよなら蒸機は主役のC58であったという。
他線区ではほとんどが入換機と地味な余生を送った僚機の中で、晩年でも佐野~小山に区間貨物の仕業が一本残り
列車の先頭に立ち続けていたC50こそ、最後の花は彼に手向けて欲しかった思いだ。

たら、ればを言ってはキリがないが今回の運行に際し、
D51はC56と共に幼少時代から最も接した機関車で大変馴染み深いものの、
小山の123号機が復活していれば今回の蒸機運行はC50の里帰り運転になったかもしれないのになぁ…
と少し悔しさが込み上げている。




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  1. 2018/05/19(土) 18:21:31|
  2. 雑記
  3. | コメント:3

蒸気の幻を追いかけて、まだ知らぬ景色へ、まだ知らぬ土地へ

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2014年10月 吉都線車内


列車での旅となった大畑行き。
東京からサンライズ出雲・瀬戸のノビノビ座席で居合わせた岡山の初老の方と酒を呑み、
久しぶりに夜行列車の車窓を楽しんだ。

岡山から普通列車を乗り継いで、相変わらず美しい瀬戸内の景色を眺めながら
かつてC59やC62が音戸や安芸を牽いていたなど嘘のようだと呉線経由で小倉で一泊、日豊本線を南下した。
途中キューロクやC50で賑わった行橋を過ぎ、D51が奮闘した宗太郎を越えて行く。
遥々みちのくから廃車を逃れたC61も歩みを刻んだ高鍋、佐土原、そしてライトパシフィックの里である宮崎。
蒸気最晩年に奇跡的に復活したC57牽引定期急行日南3号の足跡残る日向沓掛、田野、青井岳…。
面影が全く残らぬ行橋や大分、宮崎など当時を知る人にとっては複雑な心境だろうが、
それでも南の名場面を見せた錚々たる機関車の残り香漂う日豊本線を辿れた喜びは感無量の思いだった。

遅い昼食をと入った都城の駅舎脇にあったうどん屋で、たった一人の客でいた飲んべえ親父が
何故かプロ野球の話を持ちかけてきた。
どうやら馴染みの客らしい。
九州だからホークスファンかと思えばタイガースだという。
兄ちゃんはどこじゃと、僕は大洋時代からベイスターズだと答えて当時の選手の話で盛り上がった。
ご満悦で帰っていったオヤジさんを見送って、悪かったねぇと店のおばちゃんに
旅は情け人は心、たまにはいいもんですよと笑えば、ありがとねと礼を言われた。


都城から吉都線に乗り換える。
C55やC57が駆けた、僕の中で好きな路線群の南端に位置する列車に乗り込む時のときめきは、
初めて一人旅をした頃の興奮によく似ていた。
少ない乗客のほとんどは小林で降り、えびの飯野からは自分一人となる。

南国特有の開放的な青空の下、西日を受けた視線の先に霧島の山々が浮かんでいた。
優雅な姿で駆け抜けたであろう機関車たちの幻を追うかのように
まだ見ぬ景色に夢を持ち、まだ知らぬ土地へと冒険に出るようなワクワクとした気持ちを抱く僕を乗せ、
列車は眩い光の中を走り続けた…。




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  1. 2017/11/29(水) 03:07:00|
  2. 雑記
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  4. | コメント:0

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