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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

広い空の下へ

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北海道名寄市    2016年10月撮影


3年程前になるだろうか、職場で少し疲れたなぁと休憩室で休ませてもらっていた時のこと。
気が付けばそこはICUだった。
なんでも返事はするものの動く気配はなく、明らかにおかしいと救急車を呼んだとのことだった。
その後嘔吐を繰り返し、脳出血の疑いでMRI、CT等々の全身にわたる検査をしても異常は見当たらず
意識は翌夕方に戻ったものの朦朧としており、自分が病院にいることを理解するには暫し時間が掛かった。
その時、人間なんて死ぬ時はこんなもんなんだろうなぁといったのを覚えている。

周りは恐らく年配か重篤の患者だったのだろう。
何かの装置に繋がれ、返事も出来ず、痰も自力で切れず、目覚めていても一日24時間の内
はたしてどれだけ意識を持っているのだろうかと思われた。
まだはっきりしない意識の中、当人や家族には、また口悪く大変、大変申し訳ないが、
早く死んじゃえよ、というのが正直な気持ちだった。
治る見込みがあるのならいい。
でもその見込みもなく、楽しみもなく、意識も殆どなく、徒に治療費だけかさみ、その負担はどこに行くのか。
死んで欲しくないという周りの想いは分かる。でも本当にそれは当人にとって望んでいることなのだろうか。
どんなことになっても生かしておいてくれと希望したことなのだろうか。
周囲の、死んで欲しくないという想いは自分たちのエゴではないのか・・・、病床でそんな風に思っていた。

今年の6月のある朝、目覚めたら声を失っていた。
なんの前触れもなく無声音と掠れた声の交互で、時期が時期だけにもしや…と焦った。
でもコロナにその症状は聞いたことなく、暫く様子を見ていたが発熱などの症状はなく、声にも変化は見られなった。
ネットで検索すれば、声が出ないのは大きく分けてポリープ、癌、ストレスの三つ。
だが、食べ物を飲みにくい、引っかかる、むせる、しこりがある等の症状はなく
他に思い当たると言えば、それ以前に首が猛烈に痛くなり、捻ることも寝返りをうつことも出来ないことがあったことだろうか。

3年前の、ICUでのことを思い出していた。
仮に癌だとして・・・、僕は治す気はない。
放射線なり手術なりして、5年生存率何%などと恐れ、運悪く再発して再び苦しむなどまっぴらご免だ。
苦しむなら一回きりでスッパリ終わらせた方が良い。
どのみちいずれは死ぬのだから、無理に延命などせず天命に従いたい。
人に褒められ羨まれるような人生ではないが、納得の人生なら10年であれ100年であれ
命の長短の価値など全く意味はないというのが僕の死生観だ。
因みに葬式もやらない。墓もいらない。
死者に何を金を使えというのだ。金は生者に使うためのもの。
葬式は生者の世界に於けるひとつの区切り・・・というのなら、それは死者となった場合の自分を無視した行いだ。
そんなことをするのなら、バラバラにしてもらった遺体を山中深くばらまいて、動物なり何なりの糧になることを選びたい。
すっかり死ぬことを前提にしてしまったが、別に死にたい訳ではない。

他にはストレスによる心因性失声症というのがあるらしい。
東京に一旦戻り、何かにつけマニュアルだのルールだのと繰り返す箱や檻に入ったような都会の暮らしに
イラつく毎日であるのは認めるけれど、それほどの過度なストレスを受けているのだろうか。
素人推測をしてる暇があるのなら病院に行けよという話だが、今月になって大声は出せずとも
多少の会話は出来るようにはなったのでまた様子見だ。




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  1. 2020/10/20(火) 01:47:32|
  2. 雑記
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185系のいる風景

185系が登場したのは僕が高校生の時である。
同級生が川崎駅で新型車輌を見たと自慢げに話していて、感想を聞くとあまり格好よくなかったと言っていた。
その頃、毎週土曜日になると学校帰りに川崎まで乗り越し、同級生と岡田屋モアーズに行ってお好み焼きを食い
どこの局だか忘れたが、公開ラジオ放送で贔屓にしていたDJと番組終了後にバカッ話をして帰るパターンになっていた。
初185系はその帰りでのこと、同級生のいう通り第一印象は決していいものではなかった。



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伊豆方面への特急で記憶にあるのは157系のあまぎであるが、特急でありながら面構えはレールバスのキハ03形に見えて
どうにも格好いいとは言い難い存在だった。
どうして伊豆特急はカッコいい車輌を使わないのかと拘りがある訳ではないのになぜか悔しく
その後183系に置き換えられて、これでようやく他の特急並みになったとスッキリした気分になったのも束の間
新型になると聞いて、さてはどんな車輌が登場するのだろうと期待したのだが・・・
国鉄色と言われる、日本のどんな景色にも似合うと信じていたクリームと赤のツートンカラーだったそれまでの常識を覆す
白地に緑の、それも中途半端に斜めのラインによるおよそ特急らしくないデザイン・・・
普通列車にも使える特急車輌、と聞いて、何をバカなことを言っとるのだとかなりの落胆ぶりで
愛称名も伊豆の国柄を想像かき立てる「あまぎ」から、文学的な「踊り子」になったのも堂々とした風格を失ったようで嫌だった。



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大体、特急なんてのは特別急行の略であって、その名の通り特別なのだ。
特急「つばめ」や「はと」は豪華な3軸ボギーの展望車付き、ホームは特急専用、乗客もぼんぼりみたいなドレスを着た、
ザマス眼鏡をかけ、日傘を差したハイジのロッテンマイヤーさんみたいな高貴なご婦人が乗るような
格式高い乗り物じゃなかったのかと自分の貧乏旅を棚に上げ、これでもかと悪態を吐いたのが185系だった。



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東海道本線 根府川


その後、踊り子には何度か乗る機会があったものの最初の印象はそう簡単には拭えずにいた。
だが、国鉄が分割民営化され、次々と新型車輌が誕生した後もしぶとく生き残り、今や首都圏最後の国鉄型として
今日まで東海道に君臨し続けてきた姿勢は仮にも特急車輌としての意地が見えるようで、第一線を駆けてきた風格が
いつの間にか備わっているように思えた。

ろくな思いをしなかった学生生活において、数少ない楽しみだった同級生やDJとの土曜日の景色を引き連れ185系はいた。
傾く日差しを受けてホームに佇み、待合室から垣間見る緑のストライプに、今、惜別の想いを乗せよう。




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  1. 2020/10/12(月) 00:11:18|
  2. 雑記
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途中下車

伊東からの帰り、ただでさえ同じ行路は面白くないというのに復路も踊り子って話にもならず、
所持金も心細いことから必然的に鈍行列車での帰り道となった。
最近は定期券や特急券すら券売機だから、着駅を南武線の駅までにした乗車券を求めた窓口購入が新鮮だった。
新幹線には乗らないが、川崎で途中下車をしたいので小田原~新横浜を新幹線経由にした。
ご承知のように旅客営業規則第156条により、伊東から川崎または自分の降りたい着駅の区間は
101㎞以上あっても大都市近郊区間内のため、在来線経由だと途中下車は出来ないことによる措置である。
一旦川崎で区切ればこんな経由にしなくてもいいのだが、伊東から川崎も、伊東から着駅も運賃は同じなので、
新たに川崎からの余計な運賃を払うなら同一運賃で行ける駅まで買って途中下車が出来る方がいい。

伊東線内は伊豆急の車輌で、これまた懐かしい元東急の8000系だった。
小学生当時、南武線の73形の旧型国電に乗り慣れていた身には、ステンレス車輌の8000系は冷房完備で乗り心地もよく
東急と国鉄の差をまざまざと見せ付けられていたが、こうして踊り子から乗り換えてみるといくら引退間近の185系であろうと
そこは特急にも使える車輌だけあって、さすがの8000系も都落ちした感があった。
それでものんびりゴトンゴトンと美しい伊豆の海を見ながら行く車窓はいいもので、熱海から東海道線に乗り換えて
一気に川崎へのつもりが途中下車したくなり、海の見える駅、根府川で降りた。



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遠くに漁船が浮かぶ眺めに、思い付きの途中下車はするものだなぁと思わされた。
綿密な計画をし、隅から隅まで予定された道程ほどつまらないものはなく
サイコロを振って目が出た次第、という方がいい。



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青い空、青い海、背後はみかん山が広がる長閑な根府川は神奈川県内一の景観のいい駅だと思う。
これが天下の東海道本線ということを忘れてしまいそうだが、関東大震災で発生した土石流に
たまたま進入してきた列車が飲み込まれ、ホーム上の乗客、駅員もろとも海中に没したという悲しい過去がある。



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現在の中距離電車の主力なのだろうかよく見かけ、乗る機会もあるこの車輌。
僕にはシートが固めで今ひとつ好きになれないが正面からのデザインは嫌いじゃない。
これで少年時代や青春時代を過ごした世代には、これから懐かしむ思い出の形式となるんだろう。
そうやって時代は巡る。諸行無常の感ありだ。
 


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東海道本線 根府川

少し改札口を出てウロついた。
急な坂道ばかりの周辺に鈍った身体はへこたれて、駅に戻れば185系が停まっていた。
運用などの細かいことはさっぱりで何とも言えないが、湘南ライナーとかの送り込み回送なのかなと推測する。
いずれにしても東京などの人の多い駅よりも、ゆっくり最後の185系を眺められそうだとホームに降りてみることにした。




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  1. 2020/10/11(日) 00:25:53|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

乗車記 MT54と共に

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間もなく、9番線から特急踊り子13号、伊豆急下田・修善寺行きが発車致します・・・

ホームに響く放送に思わず乗ってしまった。
乗ったのは8号車の指定席車輌のため、後ろの自由席9号車に移動する。
窓の開く、今や絶滅危惧種の特急列車だ。



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ゆっくりとホームを離れる185系踊り子13号。
背もたれ後ろに引き出すテーブルや窓際に小さく設置されたテーブルに、なぜかお決まりの冷凍ミカンを置き、
駅弁を広げ、まだ見ぬその先の車窓を想像しながら何度旅をしたことか・・・

発車してすぐ、女性車掌が検札に来た。

「乗車券と特急券を拝見します」
「さて、どこまで行きましょう」
「はい?」

訳を伝え、次の駅までにどこまで行くか考えておくので待ってもらえるか尋ねると
少し呆れたような顔はすぐに承知した顔になって他の検札に向かった女性車掌である。
せっかく乗ったことでもあり川崎で降りるというのも味気ない。
どうせなら下田まで行けるかと財布の中を見ると5千円ほどと心許なく、いい歳したおっさんなら
せめて万札の2~3枚くらいは入れておけということなのだろうが、貧乏旅は今に始まったことでもなく
そもそも今日は新宿のオリンパスプラザへの用事だったのだ。


それにしても、MT54のモーター音はなんていい音なんだろう。
高速でぶっ飛ばす唸り具合だけじゃなく、加速や減速の時の高音と重低音の絶妙に共鳴する響きがたまらない。
復活して勇姿を見せてくれる蒸気機関車とは違い、これらの列車は消え去るのみだろう。
これがもうすぐ、永久に聞けなくなってしまうのかと思うと実に残念だ。

ひばり・やまびこでみちのくを、あさまやあずさで信濃路を、白根やあかぎで上州を、会津路の磐梯、
東海道の東海・大垣夜行、北陸線で、山陽、鹿児島線で、赤電で親しまれた函館本線等々
各路線のあらゆる列車で共にしたMT54のモーター音は旅の風景のひとつだった。
中でも仕事帰りにボックス席で頬杖をつき、一日の疲れと心地よい列車の揺れでウトウトしながら聞いたモーター音は
103系のMT55と共にいつもそこにあった風景として忘れることが出来ない。
少年時代から青春時代、社会人へと一番慣れ親しんだ音である。
恐らく、僕と同年代で国鉄電化路線沿線のお住まいの方なら同じような思いの方がいらっしゃると思う。


で、どこまでの切符を買ったかというと・・・



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伊東である。
伊東に行くならハトヤ、電話はよい風呂4126、ハマチブルブル大漁苑である。
古いローカルネタである。
伊東には、昔懐かしいポリ茶瓶がまだ売られていることを思い出し、風呂に入らず記念土産として購入した。



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それにしても、終点の下田まで乗りたかったな・・・
葬式鉄が湧いてくる前に、一度乗ってくるか。




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  1. 2020/10/10(土) 00:05:49|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

北酒場

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北海道北見市


北見市は北海道オホーツク総合振興局にある道内一の面積を持つ10万都市である。
といっても平成の大合併で増えただけで、駅を降りてみると「こんなちっぽけなの?」と思うこと請け合いだ。
初めて北海道を訪れた20代前半の頃の北見は「結構大きな街だな」と思ったものだが
それから約10年後に移り住み、年々活気が失われていくのが目に見えるようだった。
東急デパートがなくなり、北海道ちほく高原鉄道もなくなり、街中心部は寂れていく一方だ。
日赤病院が建て替えられ、機関区や構内跡地周辺は図書館が建ち、駅前にはバスターミナルが移動新設され
ビジネスホテルが並び何やかんややっているが、夜の歓楽街は街灯りも人通りも少なく閑古鳥が鳴く。
最近では以前からずっとあった大きな居酒屋がコロナ騒ぎで閉店したと聞いたから、まだ萎んでいきそうな気配だ。

以前飲みに出た時に、友人とこれくらいで丁度いいよねと歩きながら話したことがある。
そう、このくらいで丁度いい。札幌では明る過ぎる。首都圏はドぎつ過ぎてちょっと勘弁願いたい。
北見の寂れた街くらいの灯りでいい。歩く人もポツポツくらいでいい。それもたまに行くくらいでいい・・・。

街へ出ると大概立ち寄った古い居酒屋があった。
カウンター席が数席、奥に小上がりが6席だけの家族で営む小さな飲み屋さんだった。
畳も座布団もかなり疲れていてお世辞にもきれいとはいえなかった店の料理は、安くて旨くて、口数少ない大将も
皆から母さんと呼ばれていたおカミさんもいい人だった。
「久々に飲みにでも行こうや」と誘われて立ち寄ったのが最後、来週閉店すると聞かされ一同マジかー!と残念がった。
それからというもの、そういった古くさい落ち着く飲み屋さんは見つからずチェーン店で済ますことが多くなった昨今
気になる店が一軒だけあったのが上記の絵面である。
鉄道とは全く関係がないと言えばないのだけれど、そうとも言えない訳がこちらである。



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食事処 D51 !! キタ━(゚∀゚)━!

たぶん居酒屋というより大衆食堂の部類なのかもしれないが、このネーミングが非常に気になって仕方ないのだ。
「模型のデゴイチがトンカツとか運んで来るんべか?」
「いやいや、店の真ん中に動輪とかがあるんだべさ」
などと笑いあったが、未だに入ったことがない。

古い佇まいは昭和そのもので、ここだけポツンと取り残されたかのようにあり
日中に見るととても営業しているとは思えないほどの廃れ感がある。
蒸気機関車の時代、北見は鉄道要衝の街だったから、まさかその頃からのものなのか。

雪がチラつく夜の街。おー寒っっ!と襟を立てたコートの雪をパッパと払いガラッと戸を開ける。
テレビを聞き流し新聞を見ながら煙草を吹かしていたオヤジに、ルイベと熱燗二・三本つけてやと頼んで小汚い座敷に上がる。
黄ばんだ壁には誰が寄贈したのか常紋峠で苦闘するD51とキューロクの色褪せた写真・・・
風にガタガタと鳴る窓ガラス、流れる八代亜紀の演歌なんかが似合いそうな、そんな北酒場でしみじみ呑みたいものだ。




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  1. 2020/09/10(木) 01:56:11|
  2. 雑記
  3. | コメント:0
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