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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

猶予

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高島線 東高島~鶴見


鉄道車輌の興味は、蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車と行くに従い薄れ
気動車や電車に至っては、JR型になってからのキハ110など一部を除き車輌そのものに関心がなくなった。
あるのは鉄道がある風景とか残り少なくなった国鉄型車輌くらいなもので、それすらもカラーリングセンスが疑わしい。
好きな人には大変申し訳ないが、山手線の新型車輌を見た時(何系かは知らない)はところてんの突き器か鰻の仕掛け、
特急踊り子の新型車輌の顔は蟹の口に見え、口から泡でも吹ながら走ってろと悪態をついた始末。
踊り子は湘南や伊豆の海沿いを走るから、まさかJRが洒落たのではあるまい。
自分のセンスの無さを棚に上げて言わせてもらえば、優等列車らしい重厚感もなく
軽くて薄っぺらな見てくれだけのものに見え、金を払ってまで乗りたいとは思わない。
九州新幹線が出来る前、博多から熊本まで乗車した特急では初めて電車酔いを経験し、その列車名すら覚えていない。

あれほど列車に乗るのが好きだったのに、あれほど車窓を見ながら知らない土地へ行くのが好きだったのに
鈍行、急行、特急問わず幾つもあった昼間長距離列車や夜行列車の廃止、食堂車、車内販売の廃止、
ホームに響く駅弁売りは姿を消し、寒さに凍えながら食べた駅そばの味も消えつつあり、駅売店はコンビニ化・・・
スピード重視の単なる都市間移動が主目的となり、手段の選択肢すら与えてくれなくなった鉄道は
旅的要素は薄くなるばかり、もはやそういったものは時代に乗れない年寄りの余計なお荷物とでも言いたげだ。

高島貨物線を走る電気機関車も国鉄残党のEF65のスジは日に三往復のみ。
せっかく来た機関車の「うーん・・・」と首を傾げるカラーリングに贅沢は言ってられず、
旅を運んでくれた車輌たちの姿を見れるのは、後どれほどの時間が遺されているのだろう。




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  1. 2020/09/03(木) 15:54:44|
  2. 高島線
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横浜そごう裏の貨物線 (・・・と追記ハチロク)

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高島線 桜木町~東高島


朝の通勤ラッシュがそろそろという根岸線から逃げるようにやって来た重連単機が
横浜そごう裏手の帷子川の鉄橋を渡る。
かつて国鉄高島貨物駅の上下の引上線が本線と並び複々線のような様相だった鉄橋上も
高島駅が廃止されて今や東高島から桜木町が単線となり、高島駅跡に至っては面影はほとんどなく
この鉄橋が辛うじて当時を伝えているといった感じだ。

二十歳前後の約2年間、仕事の配属先がこの界隈で、古参先輩方は恐ろしく軍隊のように厳しかった。
ぶっ飛ばされたことは一度や二度ならず、一昼夜勤務で下っ端は仕事よりも雑務から絞られた。
掃除洗濯は言うに及ばず、中でも大変だったのが一人千円の予算で昼・夕・夜・朝の4食を10人分、
下っ端二人が献立を考えて作る飯作りだった。
前回勤務のおかずと重なってはならず、キャベツの千切りは糸のように細くしないとウサギの飯か?といって捨てられた。
買い出しは午前と午後の二回、地下足袋姿のまま自転車で買い出しに行くのが年齢的にも恥ずかしくて嫌だった。

それでも商店街の馴染みとなった店では
「チャーシュー切ったから食べて一服してきな」とか
「そこから好きなアイス取ってっていいぞ」とか、
魚屋へ行けば「刺身を少し余分に入れといてやったからな、見つる前に食っちまえ」とか、
まぁとにかくよく可愛がってくれたことが大変な支えであり、転勤の際には一軒一軒挨拶に回ったほどだ。

そういう雑務から段々一日の流れを覚え、時間にも余裕が出てくると少しずつ現場に連れ出してくれるようになる。
現場は危険と隣り合わせで約2年の間、人生終わったと思ったのは4回、一度はあわや胴体真っ二つ既の所までいき命拾いした。
だが、当時は事が起きなければ事故扱いにはならずマルとなった時代であり、上司の両足切断事故もあって身の危険を感じ
昇格試験を受けて転勤したが、軍隊のような厳しさは危険が伴うため気を締める意味があったのだと思う。

それでも怖かった思いばかりではなく、夜になると比較的楽で、隣の部署の奴との共同作業前にあった待ち時間に
互いの恋バナを暴露し合ったり、愚痴を言い合ったりの時間が気分転換にもなれば
なんと言っても一般人には見れない位置からの港の夜景や花火大会、元旦を迎えた瞬間の船の汽笛は格別だった。
飯作りに四苦八苦していると時々手伝ってくれた料理好きの先輩がいて、勤務が土日に当たると
大量に発生する空き時間を利用して釣りのお供をさせられた。
たまたまか腕だったかは知らないが釣れた魚を刺身にしてくれ、それはこの川の河口で釣れたスズキであった。
配属当時はまだそごうはなく、首都高横羽線を車のライトが見えていたものだが程なくしてから工事が始まり
開店を皮切りに、いよいよみなとみらいの整備が始まるんだなぁと、新たな夜景の一部になったそごうの下を行き来する
EF65やDE10らを眺めていた。




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  1. 2020/09/02(水) 21:56:30|
  2. 高島線
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消えていく風景

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高島線 鶴見~東高島


川崎貨物発、根岸行、5693列車が明け方の東高島に入構する。
都会嫌いの僕でさえとても魅力的に映る洒落た趣の港横浜。
その片隅には昔の横浜の面影が僅かながら残っている一帯がある。
当時を回想すると、お世辞にもきれいとはいえない運河、何艘も係留された艀、山積みのパレット、
小さな町工場、バラック、散らかったごみ、無造作に生えた雑草・・・
「あしたのジョー」に出てきそうなドヤ街の匂いとでも言おうか、リアル世代である僕には懐かしく
吹き溜まり者同士で夜中に屯していた当時のヨコハマの風景がほんの一角とはいえ見れるのは喜ばしい。

界隈を歩くとさすがに当時ほどではなく、潮とヘドロが混ざった独特なドブ臭い運河の匂いは消えているものの
左に写る三井倉庫は昭和45年のD51791によるさよなら運転時には既にあった年代物だ。
SS不足でブレたEH200が渡っているように見える錆びた鉄橋も、昭和34年に廃止された東高島と
東神奈川を結んでいた貨物線の廃線跡として知られている。
背景の、みなとみらい横浜を代表するベイブリッジとは対照的に、昭和の横浜を今に伝える架け橋だ。
しかし、東高島駅北地区は2025年度竣工予定である地上52階195mを筆頭に計3棟のタワーマンションの工事が
いよいよ来年度から着工となる予定で、当地区に当たる廃線跡や運河は消えていく運命だというから
またひとつ、横浜からヨコハマだった景色が遠いものとなっていく。




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  1. 2020/08/30(日) 07:58:27|
  2. 高島線
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港・横浜に線路があった頃

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国鉄高島線 高島駅    1984年撮影


横浜といえばみなとみらい、大桟橋や山下公園など夜景もきれいなオシャレな港町というのがイメージだろう。
でも、30年ほど前は古き良き時代の横浜を行き交う鉄道風景がまだ残っていた。


横浜駅東口のSOGO裏、運河を挟んだみなとみらい地区の一角にある三井ビルや富士ゼロックス、旧マリノスタウン辺りに高島という貨物駅があった。
駅本屋は第一京浜沿いにあり、その並びに横浜機関区がある大きなヤードで、運河ひとつ隔てた高島埠頭と、
赤レンガ倉庫のある新港埠頭やその先の山下埠頭までの臨港線が延びていた。
本線は電化でEF60と65、貨物入換と臨港線及び本線小運転はDE10が受け持ち、何度かDD13も見る機会に恵まれた。

上り方には貨物入れ(かもいれ)と呼ばれるパレット積込の専用ホームがあり、その外れに貨車検修庫や車掌区があった。
面白いのは検修庫裏に一段低い線路があって、そこは満潮になると線路が面一で海水に水没するという留置線があったことだ。
もっとも錆だらけのレールとバラストのない道床からとっくに使用された形跡はなかったが、
貨物列車の車掌廃止となると余剰となったヨやワフが解体を待ちながら運河に浸かっていたという光景が見られた。
下り方には12番線からレールセンターに向かう引き込み線が延びていて、時々ロングレールを乗せたチキの編成が専用機によって引き渡し線に押し込まれていた。

臨港線を知る頃には桜木町駅横にあった東横浜駅と新港埠頭の横浜港(よこはまみなと)駅の信号機は生きていたものの
貨物扱いは既になく、山下埠頭駅と高島埠頭の表高島駅で細々と貨物扱いが残っていた。
山下埠頭へは毎日午前中に一往復の貨物列車があり、今でいう汽車道をワム80000とトキ25000、ホキ2200などの編成でマリンタワー下の高架線を走っていた。
臨港線は、戦前からサンフランシスコ航路への接続列車としてポートトレインが東京~横浜港間で運行され、
戦後は現在山下公園前に保存されている氷川丸がシアトルまで就航していた際の接続列車として昭和35年まで運行されていたらしい。
当時の写真を見てみると機関車は鐘つきの8620で、大正ロマンを掻き立てるデザインセンスの名機関車は異国情緒に溢れる港・横浜にとても似合っていた。
山下埠頭への路線は昭和40年開通のため旅客列車が走った記録はといえば、横浜開港120周年の時にC581による旧客4輌の臨時列車が走っただけではないだろうか。
いずれにせよ、臨港線から眺める横浜港というものを見てみたかったものだ。

一方表高島は主に日曜日に入換があり、それもほとんど不定期だった。
列車は高島駅からワム80000とたまにワラ1を数輌繋ぎ、連結係が貨車にぶら下がって操車係へ手信号で中継する。
それを見て操車係が手旗で機関士に誘導を送り、推進で埠頭に向かう運転だった。
踏切は交通保安係(踏切手)が警報機に鍵を差し次々と鳴らして行くといったもので、やって来る列車と競争するように自転車で駆けずり回っていた。

埠頭の入口には大島行きの船乗り場があって、そこから先は一般人の立ち入りは禁止されていたが今ほどうるさくなく、
釣り人やデートに訪れたカップルたちの前で入換が始まる。
日曜日の倉庫街である埠頭とはいえ道路を遮断する遮断棒もロープもなく、交通保安係が旗で車を止めての作業だ。
ちなみに列車が通過してきた踏切は入換が終わり戻って行くまでそのまま鳴らしっぱなしだ。
道路上で突放された貨車に連結係が飛び乗り、ブレーキを足でかけては貨物ホームにピタリと止め、または貨車に連結させ、
テキパキと流れるような入換作業は見事なもので、目の前で繰り広げられる光景を珍しげに見ていた姿が印象に残る。
入換を終えた機関車は時に単機で、時に貨車を繋いで高島に戻る…そんな光景を飽きずに眺めていたが写真というものを一枚も撮っていない。
ピンぼけだろうが何だろうが撮っておけばよかったと今にして物凄く後悔している。

他に上り方では東高島、入江、新興への小運転があり、高島のDE10は横浜の運河を駆け巡る忙しさだった。
今では全く面影はなく、みなとみらいが出来る前にはそんな光景が横浜にあったというのが信じられないくらいだ。
現在の横浜もお気に入りの地だが、僕にとってドブ臭い運河と埠頭に倉庫が建ち並ぶ少し不良っぽいイメージの横浜も好きだった。
当時は労働組合の使いっ走りでこれらの埠頭に出入りする機会がよくあり、運よく見られたことは大変貴重なことだったと思う。




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  1. 2017/12/21(木) 22:38:28|
  2. 高島線
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