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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

真っ暗な窓ガラスにほっぺたくっつけて、じっと外を見ていると遠くに灯りがポツン、ポツン・・・
あぁ、こんなとこにも人が暮らしてんだなぁ・・・
汽車の汽笛がポー、ピー・・・
そんな時、そんな時よ、訳もなく涙がポロポロ零れて来ちゃうのよ。

夜汽車で旅する心情を見事に謳った寅さんの名台詞である。
だが僕のセコい拘りの中でいう夜汽車には遂に乗ることがないまま消えてしまい、全く残念無念で惜しいことをしたものだ。



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一方夜行列車は何度か乗ることができ、サンライズは乗ってからしばらく経つ。
あの時は、さて山陰を行くか九州へ渡るか気分次第で決めようと、取り敢えず山陽路を行こうとだけ決めて乗車した、
石北本線の気動車夜行オホーツク以来となる久し振りの夜行列車だった。

初めての夜行列車は中学生になった年の夏休み、急行型電車(まだ153系だった気がする)の俗にいう大垣夜行だった。
何となく時刻表を眺めていて思い立ったが吉日とばかり、貯めておいたお年玉を財布に入れ
夕方になってちょっとその辺に行って来るとサンダル履きのまま出かけ、翌々日の朝にひょっこり帰れば
鬼の形相をした親に当然の如くこっぴどく叱られたのは言う間でもなく、それでも初の夜行列車の旅は
何か大きな冒険をしてきたような満足感で一杯だった。

会社帰りのサラリーマンで混雑していた車内は藤沢、平塚、小田原と過ぎる毎に減り、
いよいよ夜行列車といった面持ちが強くなるに従い、終電が終わって減光または消灯された駅を通過していくのが新鮮だった。
2時頃だったか、停車した静岡駅のホームに響く駅弁売りの声は耳に残り、毎年三河は知立にいる親戚の家に行くたびに
新幹線から見ていた浜名湖も、この時ばかりはいつもと違う景色に見えたものだ。



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東海道本線 東京


その後、乗車券だけで乗れる大垣夜行は幾度となく乗ってはを繰り返し、遂に憧れのブルートレインに乗ったのは
山口線に蒸気機関車が復活してからの「はやぶさ」で、通路の補助席を引っ張り出して眺めた明け方の空に
蒼黒く浮かび上がった瀬戸内の景色は今以て忘れられない。
何故だか東京ではなく横浜からの乗車だったが、機関車はまだEF65で、EF66に変わったのは二回目以降であったと思う。
大垣夜行の座席のみと特急寝台との違いはあったにせよ、機関車が牽く列車というのは独特な格式高い重みがあり
それは更に後年、藍に流れ星も鮮やか北斗星を堂々たる姿で札幌駅に入線してきたDD51重連にも言え
鉄道少年そのままに羨望の眼差しを向け、見上げるような圧倒的な存在感を感じつつ出迎えた。
気動車夜行はオホーツクだけだったが、果てへと冬の暗闇をひた走る車窓にポツンと流れる灯りはまさに寅さんの語りのようで
これでもかと郷愁に誘われた。


時は移り、昼間特急や急行、長距離鈍行、夜行列車などとあった当時と比べるとあまりにも選択肢がなくなった鉄道旅。
商品が所狭しと並んだキヨスクからコンビニ化されたホームは僕には殺風景で物足りないが、
僅かながらでも異郷へと向かう夜行列車のいるホームはやはり良く、旅情を望む僕にとってそれは最後の砦かもしれない。




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  1. 2020/09/26(土) 14:41:33|
  2. 駅・設備
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遠い地に思い馳せ

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小学生の頃、川崎駅で京浜東北線を待っている時、東海道本線を颯爽と南下していくEF58牽引の客車列車を見た。
何という列車だったか当時は分からなかったが、それは東京発西鹿児島行きの急行「桜島・高千穂」であった。
この頃は鈍行急行問わず長距離列車など各地に普通にあり、上野は北へ、東京は南への旅立ち口、そんな風に思っていた。
青森、秋田、直江津、金沢、下関、長崎、西鹿児島・・・
地図でしか見たことがない地名が駅の行先表示板に、気持ちエコー掛かった駅の案内放送にと聞こえ
まだ見ぬ遠い旅路への思いを馳せ、少年の小さな胸にたまらない旅情の響きとなって込み上げたものだった。


現在の在来線はというと京阪神の新快速、敦賀~播州赤穂、距離275.5㎞が最長距離普通列車であるらしい。
続いて関東の熱海~黒磯の268.1㎞、北海道旭川~稚内259.4㎞なのだとか。
特急はというと、にちりんシーガイアの宮崎空港~博多411.5㎞、宗谷の札幌~稚内396.2㎞、スーパーおきの
新山口~鳥取378.1㎞、オホーツクの札幌~網走374.5㎞で、いずれもたかだか400㎞前後であり
上野~札幌とか東京~西鹿児島などのような海峡や地方を跨いで走破するという列車はない。



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東海道本線 東京


その中で奇跡的に残る在来線の長距離列車サンライズ瀬戸・出雲。
ブルートレインが廃止され、長距離列車というものが遠い過去になろうとしている現代に唯一残された列車として人気は高い。

上野東京ラインとして通過する列車が殆どになった東京駅の行先表示板に、「高松」「出雲市」の文字が燦然と輝く。
旅一座の田舎舞台から立派な国際劇場の舞台へと上がるかのような新幹線とでは少し趣が違う。
いつも下駄代わりに乗っている在来線から・・・というのがミソであり、まさに歌にある通り平塚以遠も線路はどこまでも続き
これを辿れば遠い所まで行けるのだと、まるでそこの景色が見えるような気持ちにさせられたあの頃の匂いがする。
主要な街を繋ぐだけのものではなく、讃岐や出雲、はたまた四国・山陰地方という土地の匂いがホームに漂う。

新幹線は遠距離を高速短時間で移動でき、時間を効率的に使え、快適で便利さのある反面、
地べたの上を走らず、沿線途中の、そこならではお国訛りや地方色さえスッ飛ばしてしまう飛行機にも似た感覚になり
僕には「旅」というものをする上で旅情感は薄れてしまったように思えてならない。










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  1. 2020/09/24(木) 03:23:53|
  2. 駅・設備
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令和の軍事路線

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旧石油貨物支線 エリアⅡ


今も僅かに残る専用線のひとつ、鶴見線の旧石油貨物支線。
廃線のような頼りない道床に草ぼうぼうの出で立ちは安善駅の側線扱いとのことらしい。
かつては各企業の工場へと枝分かれしていた跡が残る線路は米軍貯油施設のエリアⅡ、終端のエリアⅠへと続き、
横田基地への航空機燃料をここから積み出して運ぶ、大げさに言ってみれば我が国唯一の軍事専用線でもある。
もっぱらエリアⅠが使用され、エリアⅡは未使用に見えるものの恐らく有事の際、
軍用機が頻繁に稼働することになればこちらのゲートも開くことになるのだろうと、敷地内の手入れされた線路に思わせた。

子供だった1970年代前半は、都会といえどまだまだ駅構内には貨物側線があり、工場へ向かう専用線が見られた。
川崎駅でも現在のラゾーナにあった東芝に向かう引き込み線が南武線の6番線からあったし
横浜線の菊名は東横線と線路は繋がり、八王子のC58が来ていたはずだ。
新宿駅でも貨物ヤードが残り、DD13が貨車の入替えを山手線の車窓に見ることが出来た。

楽しかったのは、新鶴見操車場から南武線の向河原にかけての短絡線が廃線となって簡素なトロッコが置かれており
近所の悪ガキたちと遠征して線路上を皆でせーので押し、動かしては乗ってを繰り返し
実車を1/1の鉄道模型化して、今では考えもつかない遊びをしていたことだ。
(余談だが、ワム80000やホキ2200くらいなら、エイ車はさすがに無理でも空車一輛なら大人一人で動かせられるもので
車体を押すのではなく、車輌の下に潜り込み車輪を手で押すと意外にもゴロリと動き出す。
埠頭でのそんないたずらも立ち入り禁止となった噂あり)

短絡線が廃線となる前の向河原はNECから出る貨物の入替えを新鶴見のD51が行い、
矢向や津田山などの入替えは浜川崎区のC12が行っていたと後年国鉄関係者から伺ったが
同じ南武線でも貨物量が多かったのか、向河原だけは大規模な新鶴見と直結して取り扱っていたところが面白い。
側線や専用線は地方のローカル線でも残っていたし、その片隅に置かれた機関車や数輛の貨車にたまらない魅力を感じ
どちらかというと大型旅客機よりも貨物機とか中小型機を好む性格はこういった背景が影響している。


やがて時代遅れの貨物ヤードは消え、港や運河の夜景がきれいな工場群を横目に張り巡らされた専用線も寂しくなり
小川せせらぐ長閑なローカル線とは別の魅力を感じさせてくれただけに現状を残念に思う。
米軍施設のナトリウム灯に照らされ、転轍機標識の青い光が目に染みる・・・それは線路が生きてる証だった。
光の奥には良き時代を偲ぶ道標が見え隠れして、令和の時代になっても尚、ここには昭和の残り香が漂っている。



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  1. 2020/08/01(土) 13:46:12|
  2. 駅・設備
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居場所

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旧石油貨物支線 浜安善


安善の駅からつばさ橋の方角に向かっていくと在日米軍の貯油施設に向かう線路がある。
一見廃線のような草の生えた線路は運河を渡り、工場夜景には程遠い、どちらかというと素っ気ない照明に光る
それでいて懐かしくて居心地のよい、いい匂いのする場所だった・・・。


高島・新港・山下・本牧・・・、夜になるとバイクでこれらの埠頭によく行った。
どこも立ち入り禁止であるから普通の良識ある人間は入って来ることはなく、人気のない静かな埠頭で時に一人で
時に仲間とで長い時間を過ごした。
無断で侵入しているからという引け目もあって、岸壁で荷の積み卸しをしている場所には近付かなかったが
仮に近付いても邪魔さえしなけりゃいいといった暗黙の了解のようなものから特に港湾労働者に怒られることもなく、
今の時代のようにガチガチの線引きはなかった。
それでも山下埠頭だけは厳しくて、入口の派出所の目を盗んで忍び込んでも大抵は巡回者に捕まって追い返された。
山下公園に隣接していることもあってとても雰囲気のいい埠頭だっただけに、何度となく忍び込んでは追い返され
一度だけある出来事をきっかけに港湾局に許可を取り、一晩中いたことがあった。



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在日米軍鶴見貯油施設 エリアⅠ


本牧埠頭はA・B・C・D突堤があって、中でもB突堤は広さも眺めも素晴らしく、ベイブリッジが出来てからは更に格別で
恐らくその辺りから厳しくなって完全に入ることは出来なくなってしまったように思う。
それに比べて地味だったのが今の赤レンガ倉庫があった新港埠頭から川崎港にかけての一帯で、
瑞穂埠頭は米軍基地のため論外、後は倉庫街、工場地帯の少しキケンな匂いのする場所だった。
所謂マル走とか小チンピラとか屯する世間から外れた半端者、クズの吹き溜まり、掃き溜めであり、
似たような一員だった僕にはそういった埠頭が馴染み深い。
新港、高島両埠頭と川崎港千鳥の六号係船辺りは舗装された路面に幾本も敷かれた線路がほどほどの照明に鈍く怪しく光り
バイクもまたメーター類やらエキゾーストパイプが煌めきエンジンの造形が浮き出る、いつまでいても飽きない場所だった。

別にケンカする度胸はなかったし、ゼロヨンをやる訳でも、シンナーやヤクをやる訳でもなかった。
ただドブくさい運河と埠頭独特の雰囲気、愛車を眺め、仲間といつまでも煙草をゲロするほど吸いまくって
つまらぬ事を駄弁っていることが、都会の中での自分の居場所だったのである。




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  1. 2020/07/29(水) 20:47:54|
  2. 駅・設備
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金華が駅だった頃

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金華が駅廃止となり、信号場へと格下げとなって早くも4年が過ぎた。
2016年3月ダイヤ改正は、JR各社で唯一残っていた急行はまなすが廃止となり、
道内における殆どの在来線で減便されたばかりか、駅も石北本線だけで金華と、上白滝・白滝・旧白滝・下白滝と
白滝シリーズで名を知られていた駅の内、白滝を除く3駅の都合4駅がこぞって廃止された。
北海道新幹線開業と華々しく報道が成される一方でひっそりと消えていったのである。
念願の新幹線のため、都会と都会を結ぶため、一番の足下である地元は犠牲にさせられ、
利用者が少ないとの最もらしい理由を付けられ、早い話がJRや道から、国からも切り捨てられたのだ。



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常紋の山はオフロードバイクで走り回るのにはおあつらえ向きの場所である。
北海道に住むきっかけを作ってくれた常紋の麓町留辺蘂の友人らと共によく走りに行った。
駅舎は時に休憩所代わりに、時に雨宿りの場として僕らに与えてくれ、湯を沸かして入れたコーヒーの味は格別だった。

駅前集落はほんの数戸だが、金華に立ち寄ったある時に、着いた列車からお婆ちゃんが一人降りて来た。
留辺蘂へ買い物か、北見への病院か、このお婆ちゃんの他にも何度か利用者に出会したものだ。
毎日の利用ではなかったかもしれない。
でも、駅が廃止となって困っただろうなとその後のことが気に病んだ。



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常紋もまた道内各地であったタコ部屋労働者によって開通した鉄路である。
鉄道のみならず道路においても、粗末な食事、劣悪な環境で働かされるだけ働かされ
弱った者は見捨てられ、生きながらにして埋められ、逃亡すればリンチされて殺された。
伝説だった人柱は常紋トンネルで発見されて事実となり、ヒグマがいつ出てもおかしくない深い山中、
全長500mほどのトンネル工事は難航を極め、三年の歳月を費やした工事の犠牲者は百数十人に上るという。
金華集落の丘の上に慰霊碑が建っているが、無念の死を遂げた犠牲者たちにとっての慰霊とは
碑でも経でも奉りでもなく、列車が安全に往来することではないだろうか。
かつて蒸気機関車が補機を付け、長い貨物列車や急行列車が峠を行き交う光景を見ていた犠牲者の魂は
今の現状を見て何を思う・・・



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金華は信号場としての機能は残り、駅舎は関係者の利用のために残ったのに対し、同日廃止となった白滝3駅は
一時保存の声も聞かれたものの泣く泣く解体され列車は虚しく通過する。
役割を終えて残る駅舎と、いっそきれいさっぱり無くなってしまうのと、果たしてどちらがいいのか
利用できなくなった「駅舎」を見ればやり切れない気持ちが込み上げた。



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石北本線 金華駅(現・金華信号場)    2015年8月撮影


地方の交通事業を採算性という尺度だけで評価することが果たして正しいことなのかと毎度ながら疑問に思う。
一極集中、人は地方から都市部に流れ、そのしわ寄せが重くのしかかり
本来なら都市部であろうが地方であろうが平等であるはずの公共性・・・
それはJR一社や道に、まして人口減少が止まらない地方自治体だけで解決できる問題ではない。
いくら国が多額の借金を抱えていようと都市部は交通網が充実し、生活に利便性がある一方で
地方からは吸い取れるものは全て吸い取り、後は「限界集落」と切って捨てるという歪んだ政治は
今に始まった話ではなく、それでは一体いつまで引き摺るつもりなのだろう・・・
そこに泣きを見るのはいつも弱者である。




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  1. 2020/07/24(金) 21:46:51|
  2. 駅・設備
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