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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

改札口

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秩父鉄道 波久礼    ジオラマモードにて現像(トリミングあり)


国鉄の旅行開始の定義とは
旅客が旅行を開始する駅において乗車券の改札を受けて入場すること、と旅客営業規則にある。
切符を出し、駅員が入鋏して改札口を通った時からが旅行開始となる訳だ。
なにも大きなバッグを持ち行くのが旅行ではなく、通勤だろうが通学だろうが同じことであり
一般的に旅行の開始は家の玄関を出た瞬間から、という観点からすれば違和感があったものだ。

まだ小学校に上がる前だから4~5才の頃だろう。
当時の国鉄長野駅は、善光寺の門前町らしく仏閣型駅舎であった。
今のように改札口は出入り兼用ではなく、入口と出口それぞれに独立した違う場所にあった。
昔の駅は地方路線の中間駅でも同じような改札口があったように思うが
人の流れを改札付近でスムーズにさせる狙いがあったのか、しかし慣れぬ者には厄介で困惑した。

地方でも鉄道利用者がまだまだ多かった時代のこと。
長野電鉄に乗り換える際は国鉄長野駅を出るのだが、ごった返す人混みで親とはぐれ迷子になってしまった。
不安になって泣き叫ぶ僕を親は見付け、それは改札口が出口専用であったから当てがあったのだそうだ。
入口改札に行って探そうなどという知恵は幼子にはまだないだろうと踏んでのことで、
もし改札口が出入り兼用で複数ヵ所あったら見当もつかなかったと後日談として聞かされた。

古い改札口を見付けると、ついそのことが思い出される。
秩父地方は札所巡りの地としても知られ、結願したら善光寺に参るのが慣例らしいから
そんなところも何か不思議な力で思い出に導かれるものがあるのかもしれない。




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  1. 2019/08/31(土) 00:03:04|
  2. 秩父鉄道
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青いナンバープレート

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秩父鉄道 武州中川~浦山口


機関車の顔となるナンバープレート。
取り付け位置や寸法、字体などによって同じ形式でも表情はガラリと変わり、
形式入りの戦前型プレートと形式なしの戦後型プレートも好みが分かれるところだと思う。
戦前型の重厚なイメージも捨てがたいが、慣れ親しんだものが戦後型のため、僕はこちらの方がしっくりする。

色はノーマルの黒と言いたいところだが、せっかく鉄道会社がファンの目を楽しませようと
してくれてるご厚意はありがたく受け取りたい。
いや、実は本音をいうと今回の青いプレートはちょっと嬉しかったりする。
現役時代の蒸機たちに黒以外のプレートに出会ったこともなければ気にしたこともなく
興味を持ったのは蒸機全廃後、キネマ旬報社の季刊誌「蒸気機関車」の記事を読んでからが大きい。

昭和30年代のことだったろうか。
中央西線の看板列車が準急「しなの」で、名古屋区のD51が塩尻までの往復ロングランをしていた時代。
当時の名古屋区のプレート色は赤、中津川区が青、木曽福島区が黒で、重連となった時は同色の組み合わせが多く
あっても赤+黒で、赤+青の鮮やかなコンビはなかなかお目にかかれなかったとなっていた。
それまでプレートの色は黒・赤・緑の知識しかなく、初めて青の存在を知った。
数年後にたまたま見たビデオが中央西線さよなら列車のもので、そこには青いプレートのD51827が映っており
こいつぁカッコいいと、以来青いプレートのことが気になり胸のどこかに仕舞ってあったのだ。
何年か前、D51498もプレートを青くした時があったがお目にかかることは出来ず、まさに秩父鉄道さまさまである。

個人的なイメージとして青いプレートは中津川…と植え付けられてしまっているから機関車はD51なのだが
C58はD51のC型版のようなスタイルだから違和感もなくなかなか好ましい。
これでようやく念願叶ったというところだろうか。




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  1. 2019/08/29(木) 02:55:01|
  2. 秩父鉄道
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夏の汽車

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秩父鉄道 武州日野~白久


蒸機撮影でなにが嫌かといえば人の多さである。
メジャーな所では同業者の三脚がズラリ…
お手軽な場所だとそこに一般人もズラリ…
首都圏に近い秩父鉄道だと、夏休み期間中の沿線は家族連れなどで大変な賑わいを見せる。
こんな時、蒸気機関車なんて珍しくもなんともなく、ごく当たり前に走っていればいいのにと現役時代を思う。
都会が嫌いで人混みを苦手とする身としては、その状況はサメが泳ぐ海へ入るような心境で
覚悟決めて飛び込むか、人の少なそうな、出来れば誰もいない場所を探すことになる。
上手な人になれば少しだけ人混みを外れ独自のアングルを見付けてモノにされてしまうが、
生憎こちとらそんなセンスは持ち合わせておらず、すごすごと山や森へと逃げていくのがお約束だ。

季節は夏真っ盛り、そんな所は蚊との戦いである。
昔から痒がりで、靴下のゴムで時代劇の島送りとなった刺青のように引っ掻き傷の輪が出来る肌の弱さは蚊は大敵なのだ。
そこで腰から蚊取り線香をぶら下げ、シャツの袖、首元、背中と虫よけパッチをことごとく張る。
これがまたクマのプーさんのかわいい絵柄で、およそ似つかぬいい歳したおっさんがプーさんだらけの出で立ちでいざ参る。
草を掻き分け、いつの間にか胸元に蜘蛛が集り、自然界に生きる虫でありながら人さまを利用して移動するなどけしからん、
大谷翔平の如く喰らえ160キロの剛速球とむんずと捕まえ空に投げる。
100キロにも満たない弱い肩にヒョロロと上がった蜘蛛は何食わぬ顔をして草の上に降りた。

見上げた空は木が覆い、黒い汽車とでは潰れてしまうなぁと思いつつ、かといって暑さで他に移動する気力もない。
夏である上に煙の少なさで定評のある秩父の汽車とはいえ、勾配区間だし、日差しが照れば汽車は浮き上がるんじゃない?
なんていい加減な予想で待つことしばし、豪快な汽笛が谷に轟きゆっくりと近付いて来る。
案の定薄煙とは裏腹に、ガン・ガガガ・ガンと鉄橋に伝わる振動が地面を揺らし力強いドラフトが蝉時雨を掻き消した。
適当な予想の絵面は見事に外したが、中型とはいえ久しぶりのテンダー機は見応えもあり
蚊に刺されることもなく、蚊取り線香とプーさんのダブル効果てき面の夏の汽車だった。




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  1. 2019/08/27(火) 05:51:02|
  2. 秩父鉄道
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未来夢見て

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秩父鉄道 三峰口


整備を終え、転車のために引き上げ線に向かうC58。
構内踏切にトラロープを張り、女性社員が蒸機運行の安全に携わる。
男の職場の代名詞的存在だった鉄道、特に蒸気機関車は典型的な男社会であった。
今でこそ乗務員や駅係員と女性の姿を見ることは珍しくなくなったが
蒸気運行の現場でもこうして女性の姿を見るようになり
ベテランだけでなく若い世代が蒸気機関車を守ってくれるのは大変喜ばしいことだと思う。

一人の中年男が女性社員に近付く。
「向こうへ渡れないの?」
「もうSLが動きますのでしばらくお待ち下さい」

不特定多数相手の商売だから中にはゴネる輩もいることだろう。
若いから、女性だからとナメてかかり屁理屈ご託を並べられ、腹の立つ悔しい思いをすることだってあるに違いない。
クソ暑い日も雨に濡れる日も、C58だって昔からそうして来たように挫けないでもらいたいものだ。
いつの日か車掌になって蒸機列車に乗務することになるかもしれない。
ひょっとしたら女性初の機関士となってハンドルを握る日がやって来るかもしれない。
がんばれ、未来ある女性社員!




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  1. 2019/08/25(日) 22:32:21|
  2. 秩父鉄道
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鎮魂の笛

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埼玉県 所沢航空発祥記念館    2012年12月撮影


米国プレーンズ・オフ・フェイム航空博物館所有の旧日本海軍零式艦上戦闘機52型は
世界でたった一機、オリジナルの栄21型エンジンで飛行できる唯一の零戦だ。
我が国初の引込脚式単座戦闘機で、主任技師はジブリアニメの「風立ちぬ」で登場した堀越二郎である。
因みに零戦の零とは、制式採用された昭和15年は日本の年号でいう皇紀2600年の末尾を取ったものであり
令和元年の今年は皇紀2679年にあたる。

当時、泥沼化していた日中戦争で現地から一刻も早く新型戦闘機をの要望により
試作機段階の十二試艦上戦闘機のまま前線に送られ、その後、零式一号艦上戦闘機一型として
(昭和17年4月、呼称変更され零式艦上戦闘機11型となる)制式採用された待望の戦闘機だった。
初陣は昭和15年7月の重慶爆撃護衛の任であり、初撃墜は13機で出撃にした三回目で
精鋭揃いであった中国空軍のソ連製イ15、イ16戦闘機27機を全機撃墜、味方損害0という圧倒的なものだった。

中国軍の戦闘機は既に旧式化していたとはいえ、敵機撃墜は容易ではない。
撃墜王(エース)と呼ばれるには何機以上落とせばいいのかというと、たったの「5機」である。
しかし1機撃墜するには想像し得ない技術と集中力が必要で、例えるなら暴れ馬の背に乗って針の穴に糸を通すほどだという。
生き残った方の書物や、実際に真珠湾攻撃で空母赤城に乗艦された方の話によると
二十歳前後の若者とはいえ戦闘機搭乗員の眼光は鋭く、飛んでるハエを箸で掴めたそうだ。
時代が進み老人となった元戦闘機乗りが、街で「おい、ジジイなめんなコラ」と絡んできた複数人のヤクザを
一目睨んで退散させたというから、死線を掻い潜り、実際に人を殺してきた目はそれほど恐ろしいのだろう。

そこまで鍛えられた世界有数の搭乗員も、大本営や司令官の愚作と驕りによって疲弊し失われていく。
資源も技術も乏しい島国では零戦に変わる新鋭機の開発も遅れ劣勢、連合艦隊の壊滅、広島・長崎原爆投下、
そして74年前の今日の正午、陛下から国民に対して終戦を報せる玉音放送が流れた。
だが大本営から軍に停戦命令は出ておらず、自衛のための戦闘はまだ許されており、
空では東京を偵察に飛来したB-32二機を、横須賀航空隊の紫電改と零戦、雷電の計10機で邀撃し被弾させ
B-32搭乗員に戦死者が出た8月18日が最後である。
陸戦で知られているところでは同日午前1時頃、突如ソ連軍が侵攻した占守島の戦いがある。
このソ連軍の侵攻は北海道占領を目論むスターリンの作戦のひとつで、武装解除を進めていた守備隊により
必死の防衛を以ってこれを阻止し、戦闘は8月21日まで続いた。
戦死者は日本側資料で日本兵約700名、ソ連兵約3000名と戦果を示すようにソ連軍の流れは止められ、
北海道占領には至らなかったという見方がある。
終戦となった15日の後も戦闘は続き、一歩間違えていたら今日の日本はなかったかもしれない事実があったのだ。



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大井川鐡道 田野口    2019年5月撮影


雷雨を受けて復員機関車C5644が走る。
太平洋戦争開戦から間もなく南方戦線のタイに送られ、映画「戦場にかける橋」のモチーフとなった泰緬鉄道建設に携わる。
動員数は捕虜、現地人合わせて20万とも30万ともいわれ、日本兵とて扱いはタコ部屋労働の
双方とも大量の犠牲者を出した死の鉄道。
破壊されては復旧を繰り返し、銃弾、爆弾、血の雨と降る戦地に比べたら平和の雨なんざ屁でもないわい、と言いたげに。

兵士と共に多くの蒸気機関車たちが海を渡り、奇跡的に復員できたのはたったの二輌。
その内一輌は靖国神社に保存され、44号機だけが今なお生きて祖国の地を走る。
彼の汽笛は戦地で散った戦友や、敵国であった兵士、民間人の霊への鎮魂の笛となって現代に響く。

今の暮らしは、今の贅沢させてもらえる環境は尊い犠牲の上にある。
たった74年前に起きたこと、その歴史を、亡くなっていった人のためにも僕らはもっと知る責任があると思う。
あの悲劇は絶対に忘れてはならない。
何があろうと二度と繰り返してはならない。




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  1. 2019/08/15(木) 10:31:16|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

消えた夏

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秩父鉄道 樋口~野上    2013年8月撮影


大粒の汗が顔を伝う。
吹く風も暑く、堪らず木陰に逃げ込んだ。
頭上から免れたはずの日光に代わって蝉の声が降り注ぐ。

もう止め止め、場所探しなんてしてらんない
軟弱者であるからして、もうここから動けないと尻に根が生えた。

緑濃き山、沸き立つ雲、蝉時雨…
ジリジリと焼ける音が聞こえてきそうなニッポンの夏に汽車が駆け抜ける。


あれから数年後、同じ場所に行ってみれば鳥居の奥には太陽光パネルの列が並んでいた。
農業を営む後継者問題、温暖化によるエネルギー対策…
それも時代の流れだよね、と言って片付けられるものかしら。

だからという訳ではないけれど…
暑苦しく鳴いていたセミの数も減り、またひとつ汽車が似合う日本的な風景が消えてしまったのは確かだ。




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  1. 2019/08/13(火) 04:56:02|
  2. 秩父鉄道
  3. | コメント:4

フェンスの向こう

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横浜に住んでいた友人の嫁さんは、父親がアメリカ人、母親が日本人のハーフだった。
父親はベトナム戦争を生き残り、同じく軍人である彼女の叔父は在日米軍施設に勤務していた。
その施設は現在日本に返還されたようで、はたしてどの辺りにあったのかは覚えてないが
ある時、友人夫婦に誘われて行ったことがある。
家族ならともかく、単なる友人如きで米軍施設に入れるのかと聞いたが全く平気だという。
パスポートないぞ?ゲート潜っていきなり発砲されたんじゃたまったもんじゃねぇぞ?
そんな心配は杞憂に終わり身分証を見せろと言われることもなく、呆気ないほど簡単にバイクでゲートを通してくれた。

フェンスを挟んだだけなのにこうも違うものか…
視界に入るものが日本にあるカタチのものじゃない。
建物といい、全体の造りといい、表記も聞こえてくる会話も当たり前だが全て英語。
叔父だという彼とも彼女を通しての会話だ。
彼もまたバイク乗りだと陽気に笑うその仕草や表情を全面的に出す辺り、うーん、やっぱり日本なのに日本じゃない。

そう広くない施設ではあったが、映画でよく見るパトカーが常に巡回し、その頻度は日本の比ではなく
それこそここでウイリーなんかしたらすぐにパトカーがやって来て、後ろを向かされ銃を突きつけられるよと言っていた。
格納庫のような建屋にある食堂に招待してくれると、これまた映画でよく見かけるシーンのよう。
天井には万国旗が垂れ下がり、ロックが流れ、体のデカい軍人がHAHAHAなんて笑っていやがる。
好きなものを頼んでいいよと言われても、どれが何だか何がどうだかさっぱり分からず、
出て来たランチはゴテゴテの巨大な盛り付けのパスタだった。

横田基地にジェット燃料を運ぶ集うタンク車に不思議な感覚が甦る。
首都高速湾岸線が通り、つばさ橋が奥に見えるというのに、
ここのフェンスの向こうもまた日本の中にあるアメリカなのである。



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横浜市安善町 在日米軍鶴見貯油施設




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  1. 2019/08/09(金) 03:48:00|
  2. 駅・設備
  3. | コメント:0

運河のある鉄路

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鶴見線 海芝浦支線 新芝浦~浅野


輸送を鉄道に頼っていた時代なら多くの線路が敷かれていたであろう京浜運河のある風景。
その名残りは昭和末期から平成初期の頃まではそこそこ見られたように思う。
一気に減ったなぁと感じたのはみなとみらいの工事が本格化した辺りだろうか。
埠頭へ行くと廃止になった線路がそのまま残っていて、ドブ臭い運河と古臭い倉庫、人の気配がしない空間に
夜ともなれば巷で見る港とは一味違う独特な夜景が楽しめた。
まだ生きてる線路があると数輌の貨車が埠頭の照明にボンヤリ浮かび、ホキやトラなどの車輛に乗り込み
たまに運河を通る船を見ていた。
基本的に埠頭は立ち入り禁止だが、無視して入っても港湾労働者や警備員に
「〇〇の区域は船の積み下ろしがあるから行くなよ」くらいの、特にお咎めを受けることのない良い時代で
作業を見ながら飲んだ缶コーヒーの味は忘れられない。

忘れられないついでにもうひとつ、夜の岸壁でビットに腰かけ港を眺めていると艀がやって来た。
近付く艀に邪魔になるなと立ち上がると強烈なライトの向こうでくわえ煙草の作業員が叫ぶ。
どやされるのかと思えば何てことはなく手を貸せと言う。
「おい兄ちゃん、ロープ投げるからそこに引っ掛けてくれや」
言われるがままにロープをビットに引っ掛け、要は体のいいパシリに使われたわけだが悪い気はしなかった。


港湾整備が進み、臨港線も残っていた廃線跡も数を減らし、比較的気軽に入れた運河沿いの規制も厳しくなった。
旭運河沿いにスマートなステンレスの列車が走る。
ちょっとキケンな匂いがしていた運河のある風景は随分と大人しくなった印象を与え、
飲んだ缶コーヒーは少し寂しい味がした。




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  1. 2019/08/06(火) 22:22:57|
  2. 鶴見線
  3. | コメント:0

運河と吹き溜まり

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鶴見線 大川支線 大川~安善


京浜工業地帯のド真ん中を走る鶴見線は都会のローカル線といわれる。
日本の産業を支える大工業地帯にも関わらずそう呼ばれるのは、僅か3輌編成の短い列車と少ない本数からなのだろう。
乗客は工場関係者がほとんどを占め、土日になると日中の時間帯は上下2本ずつの列車しかなく
特に大川支線ともなれば平日でも総本数は朝と夜だけの9本、日中の運行はない。
土日ならば朝2本、夕方1本の計3本で、関西地方の和田岬線日曜ダイヤの2本には敵わないにしても
ダイヤだけでいえば、かつての「日中走らぬ日中線」のようだ。

今でこそ横浜の港はみなとみらいに代表される雰囲気のよい洒落た港になったが
それはそれで好きではあるけれど、それ以前の、一歩裏に行けば見られたドブ臭い運河のある横浜が好きだった。
不良のたまり場というか、出来の悪い小チンピラみたいな連中が倉庫の脇でウンコ座りして
煙草を吹かしていつまでもダベってる、社会から脱落したお誂え向きの吹き溜まりの場所である。

運河、埠頭、工場、倉庫…
川崎・鶴見・横浜と夜な夜な決まった仲間とバイクで屯して、薬品だか何だか得体の知れない刺激臭が鼻に付く
体に悪そうな中にいた吹き溜まりの一員だったということもあってか、運河と工場のある景色は居心地がいい。
見慣れたはずの殺伐とした工場群が夕焼け色に染まり、早くも最終となる列車が運河を渡る。

もっとドブ臭かったのにな…

最近は環境問題もあってきれいになったのだろう運河は、ムッとする湿気に混ざって潮の匂いが纏わりついてきた。




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  1. 2019/08/05(月) 03:53:26|
  2. 鶴見線
  3. | コメント:0

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u403tsugaru

Author:u403tsugaru
当ブログは写真ブログではなく、あくまでも日記の立ち位置のつもりでいます。写真は落書き代わりのいい加減なものですので、予めご了承下さい(´▽`;)ゞ

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