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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

夜はまだ冬

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石北本線 端野~緋牛内    2015年4月撮影


日没と共に足に絡んだ冷気は水かさを増した川のように、腰から胸、全身を覆う。
薄手とはいえ手袋を履いてるはずの指先は痛み出す。
(北海道では「手袋をする、はめる」を「履く」という)

さくら? すったらもん、こっちではまだ咲かんべや!

桜前線が海峡を渡っても、大雪の峰々を越えて来るまであと半月。
いい加減早く来てくれと痺れを切らし、怒りとも嘆きとも取れる声が聞こえるのもこの頃だ。

煌々と照らした行く手に樹陰が走る。
学生で賑わう車窓が、凍える足下を足早に蹴って流れていく。
4月後半といえど夜に向かうオホーツクはまだ寒い。




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  1. 2020/04/30(木) 05:15:05|
  2. 石北本線
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帰ってきた汽笛



石北本線 美幌~西女満別    2011年7月撮影


石北本線に、昭和50年以来となる蒸気機関車が帰ってきた。
地方へ出向いて行かねば会えない存在が、限られた日数とはいえ
地元に来てくれたあの時の喜びようは何て表現したらいいんだろう。

野良仕事をしている時・・・
集落の事業を手伝っている時・・・

腰を伸ばし汗を拭うと、丘を越えポーッと耳に届いた汽車の汽笛。
木々を縫って家に流るる力強い彼の息吹き。
かつて蒸気機関車が現役で走っていた時代を今にして、もう一度味わえるという贅沢があり
北国の、爽やかな夏の緑をかき分ける、ああ麗しの姿に涙した。


昭和16年に誕生後、静内区へ新製配置されてずっと北海道を走り続けてきた生粋の道産子C11207。
現在はSL大樹として運行すべく津軽海峡を渡り奥鬼怒の山間にドラフトを響かせているが、
いずれ故郷の広い空の下へ帰って勇姿を見せて欲しいものだ。




テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

  1. 2020/04/25(土) 09:06:59|
  2. 石北本線
  3. | コメント:0

逢魔が時

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石北本線 美幌~緋牛内    2015年4月撮影


山梨県の道志村から秋山村にかけて巌道(がんどう)峠という峠がある。
古くは山賊が頻繁に出ることから強盗(がんどう)峠と呼ばれ、
30年ほど前に、峠の頂上から道志側が砂利道ということと強盗という文字に惹かれてバイクで訪問したが
強い勾配に頭大の石がゴロゴロとした、その名の通りかなり手強い峠道であった。
そもそも峠というのは、馬の鞍がひっくり返りそうなほど急勾配といった関西の暗(くらがり)峠や
武田軍がその厳しさ故に馬よりも犬を先導させたという犬越路峠などの由来が示すように、厳しく危険な存在であった。
ましてや薄暗くなった峠ほど心細いものはない。

日没後の時間帯を、あの人は誰だろうとなることから誰そ彼、黄昏となったという。
昔はそんな時間を妖怪が活動し始める時間だと考えられていたらしいが
子供の頃、暗くなる前に帰っておいでと親に言われたのはそんなことが発端という説もある。
もし、その時間に歩いてて、擦れ違った人は実は、とか
あなたは誰?と声を掛けた相手が振り向いたらのっぺらぼう、なんてことがあるとかないとか・・・。

轍を山峡に響かせ、足早に駆けてく列車が少しばかり不安そうに見えたのもそんなところからだったのだろう。




テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

  1. 2020/04/20(月) 05:54:14|
  2. 石北本線
  3. | コメント:0

陸羽東線の蒸気機関車を未来へ遺そう!

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「陸羽東線シゴハチの里PROJECT」


守りたいのは故郷の

「歴史=人生」です。


陸羽東線の蒸気機関車を未来へ遺そう!
http://chng.it/km56JHjBbW



引き続き、皆様のご支援ご協力をお願い致します。




  1. 2020/04/20(月) 00:00:00|
  2. ご挨拶
  3. | コメント:0

陸羽東線シゴハチの里PROJECT

早春のみちのくで、今岐路に立たされている静態保存の蒸気機関車がいる。
C5819、C58114、C58356・・・
いずれも保存先の大崎市を走る陸羽東線で晩年まで活躍した蒸気機関車たちだ。
大崎市は「機関車の腐食が進行し立ち入ると危険なため、上記3輛を順次解体する」と発表した。


ここだけに限らず、行政が手に負えずに保存車輌が解体された事例は多くを数える。

子供たちがSLのように逞しく育つよう・・・
地域の発展を促した功績を称え・・・

あの時あげた声は嘘だったのか?
まさか維持管理するのにお金はかからないとでも思っていたのか?
それとも保存の盛り上がった熱が冷めれば人々から忘れ去られ、なかったことのように消せばいいとでも思っていたのか?
国鉄OBや保存会の方々によって手入れの行き届いた車輌にしても、それは市民がボランティアで行っているものだ。
最もらしいことを言って手を上げ、国鉄から無償譲渡してもらいながらあまりにも無責任ではないか。

荒廃していく保存車輌に見かね、故郷で活躍したシゴハチを後世に残すべく守りたい・・・
その熱意の下、友人である一人の青年が立ち上がった。



はじめてC58という機関車の形態を理解したのは小学生の時に祖父からもらった毎日新聞社発行の
「栄光の蒸気機関車」という写真集で、同線の分水嶺堺田に重連貨物の先頭に立って挑む114号機であった。

中型万能機といわれたC58はこれといって特長の少ない近代化蒸機だったためか人気は低く
まだ花輪線でハチロクが活躍していた頃の陸東のC58は注目度も低かったと聞く。
当時は空前のSLブーム、日々黙々と奥羽山脈を越え続けて来た彼らに脚光が浴びないことが不憫で痛ましく
どうしてニセコのC62や布原のD51ばかりがモテるのかと、縁も所縁もない土地とC58という機関車でありながら
何とも悔しい思いがしたものだ。
昭和48年4月11日に発生した奥羽本線の土砂崩壊により、迂回運転となった特急あけぼの、急行津軽、おが、の牽引は
既に引退を同月24日に控えた陸東のC58に巡ってきた最後の華となった。
このことを相当年数を経てから知った時、地道に働いてきた彼らが報われたような気がして、あぁ良かったなぁと胸の痞えが取れた気がした。
これ以前、地味なC58に栄光あれと一人想いを持っていたのが石北本線1527レ通称大雪崩れであるが
それと並んで陸東のC58に敬意を表し、迂回急行下り津軽2号の列車番号「う403レ」からサイトネームを頂いている。

これらが巡り巡って縁となったのか、大雪崩れのC58が走った石北本線沿線に居を移し
その後、陸羽東線沿線で生まれ育った蒸映制作者であり、今回のプロジェクト発起人の大場氏と知り合うことになる。
現役蒸機を知らない世代の彼であるが蒸気機関車に対しての想いは強く、
そこには自分の親、祖父が若い時、陸羽東線のC58を見て育ち、生活の足にしていたという歴史がひとつにある。
ご祖父に至っては旧日本海軍の兵士となり出征し、既に完全に制空海権を失った東シナ海を大島輸送隊の一員として戦地へ向かわれた方だった。
大島輸送隊は昭和20年4月7日、奄美大島から多くの兵士と貴重な物資を乗せ佐世保へ向かう最中、米機動部隊のグラマンに遭遇する。
人は民間人だろうと言うに及ばず、陸は鉄道、海は漁船に至るまで動くもの全て標的の時代。
防御など皆無に等しい輸送艦に乗る誰しもが戦死を確信しただろうという中、グラマンは反転し難を逃れた。
数時間後、大島輸送隊は戦艦大和を中心とした艦隊と擦れ違う。
それは沖縄に上陸した米軍を叩くべく発せられた菊水作戦、水上特攻に向かう姿だった。
輸送艦が傾くほど総員万歳を以て見送った僅かにして坊ノ岬海戦は始まり、帝国海軍の象徴だった大和は沈没した。
グラマンが反転し輸送艦を攻撃しなかったのは大和を叩くべくその一点に集中したためで、言わば大和によって助けられた命は
生きて再びC58の牽く列車で故郷に帰り、やがて時代を繋ぎ彼がこの世に生を受け、今という歴史へと続く。
C58の1号機が誕生したのは昭和13年、父や母、祖父や祖母たちが若かりし頃から故郷に走っていたという機関車の汽笛は
昭和から平成、令和と時代を超えて彼の胸に響いているのだろう。


これは彼個人の、家族へ思いを馳せる歴史のひとつに過ぎないかもしれないが
全ての人にも何かしらの歴史があり、世の中はそんな歴史の積み重ねだ。
いつの世も、人は暮らしを更に良くしようと上を目指す。
だが、どうしてこうなって来たのかと過去の歴史は忘れてしまいがちだ。
明治維新後、近代国家を目指し西洋文化を取り入れ、現代にかけて古くさい、面倒だと敬遠され、
格式のある一部を除いて消えていった文化も多かろう。
価値観は人それぞれとしても、新しい物が正義と言わんばかりに取り壊された古い物はどれほどか。


少し脱線してしまうが、先日北海道の道北地方にあった美幸線廃止後の動画を見た。
美幸線は宗谷本線美深から興浜北線北見枝幸を結ぶ路線と計画され、昭和39年に途中の仁宇布まで開通し
21年後の昭和60年に全線開通することなく廃止された路線である。
開通日には初めて汽車を見る人もいて、これで日本津々浦々鉄の路が繋がったと最初の列車を旗を振って涙で迎えたという。
また、美幸線が開通する僅か2日前に電気が導入されランプの生活から第二の夜明けが来たと歓喜に溢れたのだそうだ。
廃止から僅か一年半、深々とした雪に埋もれたちまち自然に覆い尽くされた線路。
生産性や合理性ばかりに囚われ、採算の合わないものは一部が必要としても淘汰されてしまう。
当時の国鉄の酷い体質も無視できないが、だからといってただいたずらに切り捨てて良かったのだろうか。





悔しいのは、外野は自分にかかる火の粉ではないとばかりに無関心で、弱者の声は聞かず選択肢も与えられないと言うことだ。
無くすことは簡単だが、鉄道が来るまで暮らしはどのような苦労があり、処女列車が走った時の喜びはどのようなものであったろう。
政治的な背景によって採算など採れない土地に線路を引っ張り、廃止後は住民に押し付ける無責任さ・・・
廃止というのは何も線路に列車が走らなくなるというだけの意味ではない。
廃止はそういった人々の想いを無下にし、そこに至るまでの先人の苦労や地域の歴史を捨てると言うことだ。
大崎市のC58たちにもそれと同じことが言えないだろうか。
C58114に至ってはお召し機並みに整備され、保存先まで回送列車の臨時ダイヤまで組み譲渡された機関車である。
関係者たちはどんな想いで整備をされ、次の時代へと託したのだろう。
歴史的なものは何も芸術や建造物ばかりではないはずである。



世間は今まさに新型コロナウイルスによって経済は麻痺し人々は疲弊している。
非常事態故、たかが荒廃したSLなんかどうだっていい、それどころじゃないと思われるのもごもっともだ。
ただ、このC58を介して改めて世のあり方に疑問を持ち、また保存に携わった人たちの想いに少しでも報いたい・・・
そんなところからプロジェクトに賛同した。
もしも他に賛同して頂ける方がいらしたなら、或いは、一人の青年が行政に向かって立ち上がり行動を起こした熱意から
何かを感じて頂くことが出来たなら、と記事にさせて頂いた。





最後にジブリの「コクリコ坂から」の台詞をお借りして締めくくりたいと思う。

「古くなったから壊すというなら、君たちの頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!
人が生きて、死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!
新しいものばかり飛びついて、歴史を顧みない君たちに、未来などあるか!
少数者の意見を聞こうとしない君たちに、民主主義を語る資格はない!」




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  1. 2020/04/16(木) 03:12:21|
  2. 廃線・保存機
  3. | コメント:0

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石北本線 呼人~女満別    2017年4月撮影


約半年ぶりに土が見え、雪の下からフキノトウが顔を出す。
ようやく見つけた小さな春・・・たったそれだけで喜びを感じる、北国の4月はそういった季節だ。
雪が降っては融けを繰り返し、日一日と進むにつれ閉ざした心を開いていくように
大地に花は咲き、緑に潤い、生命は溢れていく。
冬の厳しさは時に死を感じ、無事春を迎えられたことに生きていることを実感する。

朱く染まった春浅き路を列車が時を刻む。
暮らしを乗せ、人生を乗せ、巡る季節を見つめながら。




テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

  1. 2020/04/13(月) 04:10:52|
  2. 石北本線
  3. | コメント:0

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当ブログは写真ブログではなく、あくまでも日記の立ち位置のつもりでいます。写真は落書き代わりのいい加減なものですので、予めご了承下さい(´▽`;)ゞ

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