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笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

消えていく風景

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高島線 鶴見~東高島


川崎貨物発、根岸行、5693列車が明け方の東高島に入構する。
都会嫌いの僕でさえとても魅力的に映る洒落た趣の港横浜。
その片隅には昔の横浜の面影が僅かながら残っている一帯がある。
当時を回想すると、お世辞にもきれいとはいえない運河、何艘も係留された艀、山積みのパレット、
小さな町工場、バラック、散らかったごみ、無造作に生えた雑草・・・
「あしたのジョー」に出てきそうなドヤ街の匂いとでも言おうか、リアル世代である僕には懐かしく
吹き溜まり者同士で夜中に屯していた当時のヨコハマの風景がほんの一角とはいえ見れるのは喜ばしい。

界隈を歩くとさすがに当時ほどではなく、潮とヘドロが混ざった独特なドブ臭い運河の匂いは消えているものの
左に写る三井倉庫は昭和45年のD51791によるさよなら運転時には既にあった年代物だ。
SS不足でブレたEH200が渡っているように見える錆びた鉄橋も、昭和34年に廃止された東高島と
東神奈川を結んでいた貨物線の廃線跡として知られている。
背景の、みなとみらい横浜を代表するベイブリッジとは対照的に、昭和の横浜を今に伝える架け橋だ。
しかし、東高島駅北地区は2025年度竣工予定である地上52階195mを筆頭に計3棟のタワーマンションの工事が
いよいよ来年度から着工となる予定で、当地区に当たる廃線跡や運河は消えていく運命だというから
またひとつ、横浜からヨコハマだった景色が遠いものとなっていく。




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  1. 2020/08/30(日) 07:58:27|
  2. 高島線
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夕暮れ時の落石三里浜

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根室本線 別当賀~落石    2018年8月撮影


根室半島の付け根に位置し鉄道撮影をする者には有名どころも、「北の国から'95秘密」の方が印象深い落石。
「SL冬の湿原号」を往路のみで済ませ何度か足を運んだが、途中で日は陰り
いずれも自分が思い描くものには程遠く、夏のこの日、出かけていた先で思い付いてのこと。

上りの一本を撮り、約二時間後にやって来る下り列車はどんな案配になるのかと留まった。
同じ場所で同じ景色を飽きることなく眺め、陽が進むにつれて変わる陰影は大きな天然の日時計だ。
その内、海が染まり出すと岬の方からエゾシカの群れが草を食べながら段々と近付いて来る。

大きな群れだった。
時々顔を向け、視線をずらしている間は耳をこちらに向け、一定の距離をとって警戒してはいるものの
彼我の距離はそう離れておらず、ここは我らのテリトリーだという無言の圧力がかかる。
彼らに完全に包囲された頃、下り列車のヘッドライトが向こうに見えてきた。
穏やかに奏でる潮騒は朱く煌めき、散りばめた星屑のように波頭が揺れる。
驚かせることのないよう静かに体勢を整え、静音シャッターに切り替えても向けられる警戒心を感じつつ
一面熊笹に覆われた丘陵の淵を、ゆっくりなぞるように往く汽車は大自然の一部となった。

最果て旅情は風に乗り、くるりと身体を巻いて吹き抜けていく夕暮れ時の落石海岸三里浜。
すっかり「帰りたくない病」と合併症の「来た道と同じはつまらん病」を発症したこともあって
深夜に眠る根釧原野の小さな集落を繋いでは戻り、鹿との激突の方が怖い霧の裏摩周を抜けた後も針路は定まらず。
普通なら片道およそ4時間の道程は倍の8時間をかけ、家に着いたのは早朝3時、廃人同様のまま職場に向かった。



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  1. 2020/08/27(木) 02:07:49|
  2. 根室本線
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幻影を求め

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秩父鉄道 影森~浦山口    撮影日不明


1988年のさいたま博の目玉として、秩父鉄道で蒸気機関車の運行が始まった頃はテンダーに派手な装飾が施され、
全く心揺さぶられることはなく無視していた。
せっかく蒸機が近くで走り出したのに、しかもカマはC58だってのに、どうしてチンドン屋みたいなことをするかねぇと
まぁガッカリしていた訳だ。
それからどのくらいしてからか、実家のお隣さんが、テンダーのロゴはなくなったよと教えてくれてようやく機嫌が治まった。
お隣もバイク好き、鉄道好きで、バイクの方はトライアル選手権のオブザーバーとして今でも時々駆り出されているようだ。
現役蒸機を追い掛けた最後の世代で、時々聞かせてくれる当時の話は大変興味深く面白い。

余談だが、お仲間に元世界ランキング5位まで登り詰めた現役トライアルライダーがおり、
仮面ライダークウガのバイクアクションをされた一方で、ちょい鉄、蒸機好きという側面も持つらしい。
バイクを洗車していると歩み寄ってきては気さくに話しかけてくれる人だが、
'91年に国立代々木競技場で行われたスタジアムトライアルにおいて、強豪ヨーロッパ勢を押しのけ
日本人初の優勝達成の瞬間を目前で見て以来、こちらが意識してしまう存在でもある。

さて秩父鉄道の蒸機だが、煙室の装飾は多少残っていたものの許容できるものとなり、ようやく見に行ったり
乗りに行ったりするようになった。
写真は得意ではないので、たまにという程度、どれもバイクでツーリングがてらだったが
好きなバイクで好きなように山中を走り、時間になったら線路端に降りて来て汽車を見るなど有意義な時間だった。

C58は貨客両用のローカル線に適した機関車という性格から、何を牽いても、日本の田舎の風景にもよく似合う。
後ろに続く箱は、これまた嬉しい旧型客車であるからそれを写真に残しておこう・・・
そんな風に気が向いて撮った一枚がこれであった。
蒸気機関車の去り行く後ろ姿が何とも好きで、それを撮りたくても沿線のカメラの放列は許してくれず
撮り鉄が多い所も嫌い、けれども撮影地も知らない、で流れ着いたのがこんな所だった。
汽車はこの先下り坂、煙など吐く訳なくても構わなかった。
蒸気機関車と旧客、山があって、走り去る後ろ姿があればいい、そんな思いだった。
それは現役時代のC58が各地を走っていた姿を見たことがなかった僕にとって、きっとこんな感じだったんだろうと
幻影を追い求めていた夢だったのだ。




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  1. 2020/08/21(金) 05:21:25|
  2. 秩父鉄道
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士の背中

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秩父鉄道 三峰口    2014年8月撮影


東の館林、西の多治見と競うように、ほとんどありがたくない暑さを売り物にしている熊谷地方。
山岳地帯へと向かえど、盆地型気候の秩父地方の暑さも冗談じゃねえといったもので
そこをトレースするよう走る秩父鉄道の蒸気機関車を運転することはさぞかし大変なことだろう。
密閉キャブは冬場はありがたいものだとしても、灼熱のボイラーを抱いた夏のキャブ内は50度60度の世界と聞く。
側扉を外すだけに止まらず窓も取り外したところで気休め程度であろうし、キャブ内にクーラーボックスを置き
絶えず水分補給をしながらだというが、飲んだ傍から汗となってしまうに違いない。


夏休みの子供らがキャブの中を興味津々に覗く。
「坊主、内緒だぞ」
あまりにも熱心に覗くものだから機関助士は笑いながら手招きし、初めてD51に乗せてもらった時のことを思う。
大人であっても同じように覗いてしまう魅惑に満ちた室内は複雑に配管が入り乱れ、
いくつものバルブや圧力計がズラリと並び、まるで要塞だ。
これらをどうやって操作するんだろうと思っただけで蒸気機関車の運転は大変だと子供心にも思わされた。
おまけに暑く、危ないからと座らせてもらった助士席は硬く揺れ、大人が怒鳴り合うほどの轟音、
それらに怯むことのない機関士と機関助士の真剣な眼差しに、自分もこんな凄い機関車を走らせる格好いい大人になるんだ、
と誓ったが、見事に脱線転覆、廃車(敗者)クズ鉄の痛い大人になってしまった。


往路の乗務を終え、愛馬を見守り一息つく機関士がいた。
機関士の士は「さむらい」とも読む。
キャプを取り巻く環境、上り勾配に対する運転など幾多の戦を乗り越えてきた、まさに武士の背中は汗と煤にまみれ、
蒸気機関車の運転の厳しさを物語ると同時に機関車乗務員としての誇りが滲んでいた。




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  1. 2020/08/19(水) 01:09:19|
  2. 秩父鉄道
  3. | コメント:0

鼓動

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秩父鉄道 武州日野~白久    2014年8月撮影


今にも泣き出しそうな夏空が重くのしかかる。
ただひたすらじっと突っ立って暑さを凌ぐ馬のように真似しても、
纏わりつく湿気と噴き出る汗は不快以外の何物でもなく、
北海道暮らしの身体には、この尋常じゃない蒸し暑さはたまったものではなかった。

それでも都心のものとは違い、秩父路で感じるこの匂いは嫌いじゃない。
沿線を流れる荒川は、奥秩父山塊を分水嶺に日本海に向かえば千曲川となるあたり、
幼少時代の大半を過ごした信濃の匂いと被るところあり。

細胞ひとつひとつに染み入るような深い緑と水の匂いを震わせて、山峡に煙が上がる。
元々端正な顔立ちを、LP403の大型前照灯が一層引き立てる秩父のC58。
ロッドが動輪を一回転させる毎に坂をグイっと登り、彼の息遣いはそのまま僕の高鳴る鼓動になった。




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  1. 2020/08/17(月) 09:17:38|
  2. 秩父鉄道
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他国の若者に教わった戦争

二十代後半、仕事の関係で数名のフィリピンの方と知り合った。
片言の日本語で、「ボクタチハ、アナタガスキデス」と言われ、「えっ、ケツは貸さねーぞ」と尻を手で覆うと
「チガイマス、ライクノホウデスヨ」と冗談が通じ合った気持ちのいい人たちだった。
ある時、ゴハンイキマショウと誘いを受け近場のファミレスに入り、ひとしきり喋った後不意に聞かれた。


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靖国神社 2014年8月16日


「どうして日本人は特攻を悪く言いますか?」(面倒なので平仮名にします)
「だって、資源のない国なのに貴重な航空機を無駄に使って、何より尊重するべき人の命を部品扱いにして
敵に突っ込ませる人道に反する行為をしたんだから当然じゃない?」
「でも、そのお陰で僕らは植民地から解放されました。白人は何も与えてくれませんでした」
といい、更に言葉を続けた。
日本人は紙と鉛筆を与えてくれ、日本の歌も教えてくれたこと。
おじいちゃんは日本に感謝していて、私は日本語をおじいちゃんとお父さんに教わったのだと。
特攻は自分の命を犠牲にして僕らの代わりに戦ってくれた、だから悪く言わないで。もっと感謝してください。
そんなようなことを言われた。
フィリピンでも日本兵に奴隷のように扱われたり、女性は性処理の道具扱いにされてもいて、
ゲリラに殺された日本兵も多くいるから、一部の地域を除いていい目では見られてないだろうくらいに思っていた。
ましてや特攻隊など、同じ日本人でさえ無謀で無策な殺戮行為だと嫌悪する者もいる中で
余所の国の者から感謝してくれと言われたこと、余所の国の者の方が日本人より知っているのことのショックを受けた。

多分、終戦記念日だからといって、この日に合わせて追悼に関連する報道とかやってるようじゃだめだ。
ドラマで、如何にも被害者ぶったお涙頂戴的な日本目線のものだけでもだめだ。
戦争を知らない僕らなど想像もつかない、血肉と火薬と断末魔と、目を背けたくなるような事実を知らなければならないと思う。
戦時オタクになれということじゃなく、そこでどんな戦いがあったのか、さては大東亜戦争とはなんだったのか、
とりわけ歴史観がないと言われる日本人には、自分も含めて知る義務があると思う。
今現在を直面していることだけに囚われ、物事の判断をしているようでは、きっといつまでも変わらない。


鹿児島県は知覧飛行場、陸軍特別攻撃隊の整備兵をされていたという元軍人の方と話した時のこと。

まだ二十歳にも満たない子供子供した奴らが毎日毎日、特攻で死んでいくんだよ。
おれらはその子たちを死なせるために飛行機を整備してたんだ。
搭乗機に乗り込む前に、ありがとうございましたとウチらを労って飛んでいくんだよ。
もう可哀相で可哀相で、それがどんなに悲しくて悔しいことか分かるかい?
今のこんな国の有様を見て、おれらはこんなことのために戦ってたんじゃない、死んでいったんじゃない。
こんなことならさ、いっそ軍国主義に戻しゃあいいんだよ。
そうすりゃ、少しはまともになるだろ。

一番辛い思いをされた戦争経験者にこんなことを言わせてはいけない。




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  1. 2020/08/15(土) 10:23:51|
  2. 雑記
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終戦記念日前に思うこと

注)今回は鉄ではありません。


今のコロナ騒ぎを見ていると、あるTV番組を思い出す。
「帰ってきたウルトラマン 第33話 怪獣使いと少年 (1971年 TBS系にて放送)」

とても少年番組とは思えない内容に強烈な印象を叩き付けられ、今も語られる問題作だ。


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ある嵐の夜、少年が怪獣ムルチに襲われていた。
飢えと恐怖で気を失った少年の元にある者が近付き、念力でムルチを地中に閉じ込めてしまう。
その者はメイツ星から地球探査のために来たメイツ星人だった。
河川敷で穴を掘る不思議な少年には宇宙人との噂が広まり、三人組の不良中学生に穴に埋められ
泥水を頭から浴びせられるなど虐めを受けてしまう。
そこへ駆けつけたMAT隊員の郷秀樹(ウルトラマン)が止めに入るが、以降も不良中学生の執拗な虐めは続き、
陰から見守るメイツ星人の念力によって中学生は放り投げられ、少年の宇宙人説は深いものになった。
少年の名は佐久間良。北海道江差の出身で、炭鉱夫だった父親は閉山のため東京に出稼ぎ消息不明。
母親は病死し、天涯孤独となった良は父親を求めて東京に出るも、そこへムルチに襲われ、金山と名乗るメイツ星人に助けられたのだった。
二人は廃墟に住み、良はいつしかメイツ星人の金山をおじさんと呼び、親子の情愛に似た絆で結ばれていたが、
金山は地球の環境汚染に身体を蝕まれて死を迎えようとしていた。

MAT 隊長の伊吹は、地中に埋めたという宇宙船を掘り出し、良はいつか金山とメイツ星に行き地球を捨てる覚悟でいるという郷の報告受け、
「日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を握ると、どんな残忍極まりない行為をすることか。
もし、その二人の絆を宇宙人だからといって絶たねばならぬことになるならば許されないことだ」と、二人を見守るよう命令する。


ボロボロの傘を差し、商店街で数奇の視線が向けられる良。
あの子、宇宙人なんだってよと偏見で見られ、良はパン屋へ食パンを求めるが女店主は
「あとでいろいろ言われるのよ、あっち行ってよ」と追い返し、それを見ていたパン屋の娘陽子が雨の中を追い掛け良に与えた。
「同情なんてして欲しくないな」
「同情なんかじゃないわ、売ってあげるだけよ。だってうちパン屋だもん、はい120円」
素直に受け取り、ありがとうと喜ぶ良。


郷と良が穴を掘っていたある日、町の人間が各々に武器を持ち
あんた(MAT)が宇宙人を退治しないならウチらでやると良を捕まえ引き摺り回し、何とか制止しようとする郷だったが
暴徒と化した民衆は止られず、そこへ金山が姿を現した。
「宇宙人は私だ。その子は守っていてくれただけだ。どうか放してやってくれ」
それでも収まらない民衆は、警官の発砲した銃により金山は射殺されてしまった。
泣き叫ぶ良、地面に拳を叩き付けて悔しがる郷・・・
やがて、地中に封じ込められていたムルチは金山が殺されたことによって念力が解け、町や工場を破壊し始めた。
民衆は郷に早く怪獣を退治しろと助けを乞う。
「勝手なことを言うな。怪獣をおびき出したのはあんたらじゃないか。まるで金山さんの怒りが乗り移ったようだ」
自分が怪獣から地球を守ろうとしていた人類の身勝手横暴な振る舞いに愕然とした郷は
MAT隊員としての戦いを拒み、ウルトラマンに変身することも拒んでいた。
そこへ雲水に変装した伊吹隊長に、町が大変なことになっているんだぞと促され、ようやくウルトラマンに変身し
ムルチに戦いを挑んで退治する。

金山の亡くなった河川敷では、良が穴を掘っていた。
いつまで掘り続けるのか、それは宇宙船を掘り起こすまでは止めないだろう。
彼は地球にさよならが言いたいんだ・・・。



コロナ解雇だとか、感染してしまった者に対する陰湿な虐めにより仕事を辞めていく者もいて
昨日までは仲のいい友達、信頼しあえる仲間だったのに、手の平をひっくり返されたような仕打ち。
昨日の友は今日の敵とでもいうのか・・・

環境汚染は繰り返され、差別や偏見、様々な虐めに社会問題として取り上げられてきたはずなのに、
セクハラもパワハラも止めましょうとの世のかけ声が、ちゃんちゃらおかしく聞こえてしまうのは気のせいか。
自分たちと少しでも違う意見を言った者に対する誹謗中傷
特に相手が見えないことをいいことに繰り広げられるSNSでの誹謗中傷は残忍卑怯極まりない悪党のすることだ。
伊吹隊長の言葉が突き刺さる。

人間の本性の恐ろしさ、愚かさ、それらが約40年前に描写された少年番組とそっくりに移るこの時世。
いや、様々なものが進歩して時代は進んできたというのに、人間だけは進歩がないと言うことか。
コロナウィルスより人の方が遙かに怖い。




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  1. 2020/08/14(金) 05:25:35|
  2. 雑記
  3. | コメント:0

裏側

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鶴見線 大川支線 大川~安善


最後まで旧型国電が走っていた路、何度か乗りに行ったっけ。
白石の、急カーブで短い専用ホームに小さくなって停まっていた。
一駅区間を、たった一輛の国電が行ったり来たり・・・
圧迫感のある車窓が一瞬広がる白石運河を渡るともう終点。
古い電車にゴトーン、ゴトーンと揺られる小さな旅は味わい深かった。

あの頃のホームは撤去され
古い電車を引き継いだ新しい電車は駅を通過して行くようになり
次々と姿を消してく専用線で最後にDE10を見たのも遠い日となった。

走る電車は立派になっても路は荒れるばかりの草ぼうぼう。
運行に支障がなければいいっていう問題でもない気がするけどな。
田舎の田畑の畦を走っていたようなローカル線じゃあるまいし。
仮にも日本の重化学工業を支える路線なのだから、もう少し手入れしてもいんでない?
・・・と独り言をぶつくさと。
でも何かこう、鉄道会社が線路を大事にしてないように見えてしまうのは残念だ。




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  1. 2020/08/13(木) 05:10:05|
  2. 鶴見線
  3. | コメント:0

イメージ

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鶴見線 大川支線 大川


本線・海芝浦支線・大川支線からなる鶴見線は、その殆どが臨海地区の重工業地帯を走る。
都会のローカル線として注目度はあるようで休日ともなれば同業者の姿もチラホラ見かけるが
運河沿いに走る海芝浦支線は別にしても鶴見線におけるイメージは「小汚い」であり、昔は大嫌いだった。
至る所が工場だから分かるものの、トラックの往来は多く、道端はこれまた小汚い砂利が吹溜まる。
大型車の排気ガス、巻き上げる砂塵、工場の排煙、薬品臭、とっ散らかったゴミ、そんなようなものがごちゃ混ぜになり
無機質な工場群と廃線となった線路に生えた雑草は伸び放題・・・と見てくれも良くないこともあって
いくら車輌がステンレスの205系であろうとイメージは拭えず、僕には未だに鶴見線=小汚いの図式が成り立つ。


これ以降いつもに増してくだらない話がダラダラと続くので気の進まない方はスルーして頂きたい。


時はバブルの時代、当時勤めていた会社はノンプロを持っていたこともあってか野球が盛んで
毎年開催される会社の草野球大会があり、地区ごとを勝ち抜いた部署が本大会に出場して優勝を競う・・・
という規模の大きな催しを行っていた。
例年地区大会の準決・決勝は単独で人数も練習も出来る大きな部署同士が対決し
僕がいた数名足らずの小さな部署は同じような部署の寄せ集めで、顔も知らなければ人数合わせのための
キャッチボールをしたことすらないおっさん未経験者たちと組む毎年一回戦負けが常だった。

僕は野球は好きであったものの本格的な経験はなく、基本的に運動音痴で会社催しが嫌いで理由を付けては逃げていたが
前年の終わりに前職場のO先輩と、同僚だったN先輩によって半ば強引に自身らが所属する軟式野球部に入部させられ
今回は手前上逃げることが出来ず、年貢の納め時と思って大会に参加した。
その軟式野球部とやらは僕から見れば本格的で、高校硬式野球経験者と中学軟式経験者がほとんどを占め
O先輩は練習試合で長野の松商学園、愛知の東邦と投げ勝ち、一時はいよいよ甲子園へ夢と希望が膨らんだ
という静岡県の元高校球児(投手)で、N先輩は岡山県大会ベスト4進出校の三塁手だった。
中には肩を痛めてノンプロでは出来ず辞めて来たという猛者もいて、そんな軟式部でありながら監督は
あろうことに僕を投手に抜擢し、この催しでも経験という名目で投げる羽目になった。
寄せ集めチーム同士の対決を2回勝ち(僕は2回戦から)、クジ運で稀に起こるザル集団と常勝三部署の内のひとつ、
ポンポンを持って応援する女子社員もいる部署との準決勝が行われた。
試合は相手の元神奈川県強豪校のエースだったKさんと、ポッと出の僕との投げ合いになりスコアボードは0が並ぶ。
終盤になって我が方得点を唯一期待できる二人の硬式経験者の前に四球でランナーが出塁、図ったように長打が出て先制し
最後の相手打者を見逃し三振に仕留めて1-0で勝ってしまう。

当時、甲子園大会でも140キロが出れば本格派投手と言われていた時代、僕はお遊び草野球を時々やる程度だったが
Max132キロ(左投げで115キロ)の真っ直ぐと、O先輩が教えてくれた縦系のカーブとフォーク、自前の小さく曲がるスライダー
(今で言うカットボール)を持っていて、これらを混ぜると先ず打たれることはなく、社内大会でも強いと言われていた
この相手に対しても、先の軟式野球部においても一度も勝った例しがないと聞かされていた対東芝に6-2、
21アウトの内13奪三振でチームとしても初勝利したこともあってそこそこ通用していたようである。
加えて打つ方は左右打ちで、長打は右打ちの方があったが三振率は圧倒的に左が少なく、重宝がられてよく使ってくれた。
いずれにせよ社内大会は周囲も目を疑う想定外の結果となり、ポンポン応援女子は泣いてる者もいて少し引いたが、
自分の職場は常に地区代表を狙えるトップ3であり、まさかこんなザル集団に負けるとは思いもしなかったのだろう。

かくして、会社の草野球大会始まって以来の地区代表をかけたザル集団vs常連部署の決勝戦が始まった。
終盤の僕の手痛いエラーから4点が入り万事休す、今年の決勝は面白いぞと家に帰らず野次馬と化した参加者からも
番狂わせを期待する声は「あー」という落胆の声に変わり、史上初の地区優勝とはならなかったが
この時、準決勝の対戦相手だったメンバーと女子たちも帰らずに声援を送ってくれていた。
その内の一人の女子が試合後に労いの言葉をかけてくれ、それ以来、この準決で対戦した部署の助っ人要員として
呼ばれるようになったある日、僕はショートを任された。
球場は内野席のあるグランドで、一塁ベンチ上に例によって女子たちがいて、労いの言葉をかけてくれた彼女もいた。
その格好が殊更ヤバくて、超ミニスカートとヘソ出しルックであり、一塁に送球すると視界に入るのである。
困ったような嬉しいような複雑な心境の中ノーエラーで済ませられたが、都市対抗野球を見に出かけた東京ドームや、
川崎駅でバッタリ会ったりすることも重なってか、社内大会以降、女性に疎い僕でも分かるくらい近付いてくるようになり、
一つ年上のきれいな女性だったし悪い気はしなかったものの、どうしても乗り気にはなれなかった。

彼女は鶴見線と同じ名だった。
鶴見線といえば小汚い、そのイメージが切っても切れない僕には、えーっ、そんなことで?と言われそうだが
それほど鶴見線=小汚いは強烈で悪いイメージだったのである。
その後、語学が出来る彼女は退職し、某航空会社のCAとなった。
道を間違えたかな・・・




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  1. 2020/08/12(水) 00:36:16|
  2. 鶴見線
  3. | コメント:0

鉄道貨物

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鶴見線 旧石油貨物支線 浜安善


先日BSで寅さんを観ていたら、上田交通の懐かしい丸窓電車が映っていた。
別所温泉駅に入線する電車を拘りの高羽カメラマンが映すアングルには、ホームに所狭しと積まれたリンゴの箱等の小荷物類。
そういえば、貨物輸送が鉄道に多く利用されてた時代は至る所でそんな場面をよく目にすることが出来たっけ・・・

リヤカーは駅の風景に必須のアクセサリーみたいなもので、列車が到着すると貨車から降ろした荷物を載せて
駅員さんがよいせと押していた。
荷物は貨物列車だけでなく旅客列車にも荷物車が連結され、荷物車など付かない列車では
客室内を幌か何かで仕切っていればマシなもの、中には客と一緒にそのまま載せているなんてのもあった。

長野電鉄に旧型電車が走っていた頃、長野駅からの電車にも貨車が1~2輛付くことがあり
どこの駅だか忘れたが、客を乗せたまま貨車の入換作業をしていた記憶がある。
電車が機関車の代わりに貨車を繋いでいる訳だから当然といえば当然で、駅構内を行ったり来たりと
そのたびにガタガタ揺られ(かなり楽しく)、今に思えば随分貴重な体験をしたものだ。

荷物の発着送があるとローカル駅でも扱われ、亜幹線の中間駅から大幹線の大駅、
操車場などで繰り広げられる入換作業はいつ見ても楽しめ
駅間で見る列車は瞬時の内に見えなくなってしまうのに対して、これらはずっと目の届く範囲に機関車がいてくれ
子供にはヘタな所にいるよりも、むしろ駅構内の方が楽しめたように思う。


横浜の、港の潮風に吹かれて米タンの返空列車が到着した。
車止め標識が、この先、線路はないよと知らせる運河の末端線、航行する船のマストが行き交う。
機関車はここで一旦切り離し、車止め標識の手前まで進んで機回しする。
機回しの済んだ機関車は、今度は列車の後部へ連結して米軍のエリアⅠに押し込みを始める。
その一々に行われる幾多の確認と入換作業は、往事の鉄道貨物のありふれていた光景のように陽炎の中で揺れていた。




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  1. 2020/08/06(木) 18:09:41|
  2. 鶴見線
  3. | コメント:0
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プロフィール

u403tsugaru

Author:u403tsugaru
当ブログは写真ブログではなく、あくまでも日記の立ち位置のつもりでいます。写真は落書き代わりのいい加減なものですので、予めご了承下さい(´▽`;)ゞ

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