笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

生命の湿原

2月、一年で一番楽しみにしていた今や道内では唯一となった「SL冬の湿原号」。
その運行が始まると休みのたびに釧路に通い、挙句には夜勤明けでそのまま直行という強行軍に打って出た。
だが、その割には大した写真も撮れず、つくづく「下っ手くそだなぁ…」と自分の腕の無さを痛感した。
その腕の無さに輪をかけて、今年は北海道も例年になく暖冬で一部地域を除けば雪も少なく、厳冬期であるはずの2月に雨が降ったり、川湯までの延長運転もなしときて盛り上がりにも今ひとつ欠けた。
それでもとにかく仕事か釧路に行ってるかの二通りで、撮り溜めたデータを現像する暇もほとんどなく、何を差し置いても蒸気機関車はなくてはならないもののひとつである僕にとって、ただそれだけが原動力の毎日だった。

今や春から秋にかけて週末を中心にその姿が見られるようになった蒸気運行路線も北は釜石線にはじまり、磐越西線、真岡鐡道、秩父鉄道、大井川鐡道や山口線、肥薩線となった。
どの路線もそれぞれの土地の匂いがあり、その地方ならではの心震えるような風景がある。
中でも大井川鐡道は通年を通してほぼ毎日運行され、四季を通じて土地に溶け込んだ姿を見ることが出来る貴重な路線である。
北海道の蒸気運行はJRの度重なる不祥事と、開業まであと数日に迫った北海道新幹線に全力を尽くすとかなんやらで厳冬期に走る釧網本線しか見ることが出来なくなってしまったが、各地に走る蒸気運行路線を以ってしても太刀打ちできない圧倒的なスケール感がある。
走る機関車は小型機のC11で大型のD51やC61などの個別形式の魅力や迫力、威圧感こそないかもしれない。
でも、蒸気機関車はその土地に見合った形式がそこで見せる姿こそ美しいと信じる僕には決してどの線区より劣ることはなく、雄大な景色をひた走る姿がなんといっても一番の魅力ではないかと思う。

早朝、北見地方の我が家からガチガチに凍結した峠道を越える。
凍結しているのはなにも道だけではなく、周囲の木々や峠から見下ろす屈斜路湖まで全てにおいて真っ白だ。
たまに擦れ違うトラックは砂埃のように雪を巻き上げ一瞬視界がゼロとなる。
少しでも油断し、焦って急が付くような操作をすれば木っ端のようにあっという間に吹っ飛んでしまいそうな冬道の運転は毎度のことながら緊張の連続である。
釧路湿原の終端の町である標茶で食料や飲み物を調達し、撮影地近くの場所に車を停める。
ここから機材を担いで気の遠くなるような広い湿原の中を徒歩約40分。
大汗をかきながら辿り着いた先には、眼下に惰行する釧路川と果てしない湿原、どこまでも高く青い空が広がっていた。

待つこと3時間。
遠く釧路湿原駅を発車する汽笛が湿原を渡って来た。
ドレンを切る音、歯切れるドラフトの音、それらが近付くたびにC11の動きが手に取るようにわかる。
「さて、おっ始めるか」
先ほどまで話していた同業者の方の一人が発した言葉を境に独特の緊張感が走る。
ここに苦労してやって来た全ての人がこの一瞬に懸けている。
カーブの向こうから煙が見えた。と同時にドラフト音がよりはっきり聞こえて来た。
いい煙が舞う。釧路川と並行するように待ちに待った汽車がやって来る。
丘の切り通しから一瞬光が機関車を照らし煙が浮き上がった。
本番はこの後の惰行する釧路川の袂を横切る時であったが、僕にはこの時の光景がとても印象的に映った。

汽車は盛大な煙を吐いて過ぎ去った。
いつもなら小型機といえどもその黒くメカニカルな動きに圧倒され、石炭と油の体臭に酔い、轟く汽笛に震えるものがそれらはこの湿原の景色にはあまりにも小さく、そしてそれは実は生命のひとつにしか過ぎなかったのだと思わされた。
人間が作った機械である蒸気機関車、頼りないほどの二条の鉄路は、ここに生きるエゾシカやタンチョウ、その他多くの動植物となんら変わらぬ生命のひとつだった。
ここで暮らす全ての生き物の命の源である釧路湿原に改めてその大きさと感動を実感させられた、そんな瞬間だった。



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釧網本線 細岡~塘路




  1. 2016/03/08(火) 01:23:00|
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