笛の音響けば

汽車の音色は旅へと誘う道標

亡き祖父と共に

僕が只見線という路線を知ったのは小学校一年生の時だった。
蒸気機関車を見ると憧れの眼差しで見、鉄道工場脇で解体された蒸気機関車の亡骸を見るだけで泣きそうな顔をするほど大好きだから、と母方の祖父が贈ってくれた毎日新聞社発行の「栄光の蒸気機関車」という写真集からだった。

祖父は戦前から長野県で教師をしていたそうで、何せ時代が時代のためとにかく厳しい人だったそうだ。
そんな祖父だったが戦後間もなく病に倒れ入院。
病名は覚えていないが、僕が物心ついてから一度も退院することなくこの世を去った。
だから祖父は病院でしか会ったことがなく、毎年夏休みにお袋と見舞いに行けば車椅子で面会室に来て、そこでお袋と祖父が話すという姿しか知らない。
僕は悪いと幼心に思いつつも早く薬臭い病院を出て、夏草の焼ける匂いと緑に覆われた山々や田畑の下に行きたくてどこか落ち着いていなかったように思う。
そんな姿を見て察してのことだったと思うが、祖父はいつもお袋にもう行きなさいと促していたようだ。
祖父だって、きっと夏空の下、孫である僕を迎え一緒に遊びたかったに違いない。
本当は自分だってもう少し一緒に居たいと思っていたかもしれない。
だから祖父は僕にせめてもの想いを込めてとても高価な写真集を送ってくれたんだと思う。

写真集を贈ってもらった僕は大喜びで、ページの一枚一枚を捲っては食い入るように眺めていたのを覚えている。
その中に冬の今にも雪が降り出しそうな暗いトーンの中を鉄橋を渡る蒸気機関車の写真があった。
親父にここは何線?と尋ねると只見線という答えが返って来た。
どういう訳は知らないが、僕はいたくその写真が気に入り、それ以来只見線とそこを走るC11という蒸気機関車が大好きになった。
大きくなるにつれいろんな知識を得て来ると、その鉄橋は第三橋梁という有名撮影地であることを知った。
旅をするようになり、ぽつらぽつらと写真なるものを撮るようになり、それから何度となく只見線を訪れているがどうにも有名撮影地というものが引っ掛かりずっと敬遠していた。

昨年秋、会津の蒸気運行終了後、いつもの姿に戻った只見線の姿を見たくて帰るのを一日遅らせた。
僕は思い出していた。
祖父が贈ってくれたあの写真集、そこから知った只見線。
約40数年という歳月を経て、いわば僕の只見線の原点とも言うべき第三橋梁を望む撮影地に立った。
見事に色づく渓谷、風が谷から吹き上げ木々から別れを告げた葉が舞い上がる。
列車が来るまで数時間、コーヒーを飲み一服しながらのんびりと時を過ごす。
眼下を悠々流れる只見川は風になびき、キラキラと光を反射させていた。
さすがに有名撮影地とだけありその景観は美しいものだったが、列車が来る頃になるとあれほどきれいだった青空は雲に遮られ、輝いていた川面も渓谷の彩りもくすんでしまった。
せめて一差しの光でもの願いは叶わず列車が鉄橋を渡って行く。
それでも不思議と残念な気持ちは湧いて来ず、渓谷にタイフォンの音が悲しげに響くその光景を見れたことに満足だった。

初めて知ることになった只見線の写真は季節は違えど暗いトーンの曇り空だった。
この時の空は、もしかしたら亡き祖父が与えてくれた空だったのかもしれない。
病気でなければ一緒に遊んだであろう祖父が、自分が贈った写真集にあった路線の風景を僕と見たかったのだろう。
いつか僕も命を終える。
その時は一言謝ろう。
あの時、早く病院を出たいと落ち着かない素振りを見せてすみません…と。
そして今度はここで蒸気機関車を一緒に見ることにしよう。



PB105334-2fc.jpg

只見線 会津宮下~早戸




  1. 2015/11/27(金) 23:05:38|
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下手な鉄道写真を撮っておりますが、沿線風景や旅先での一コマなども載せていこうと思います。
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